エリオット(George Eliot)(読み)えりおっと(英語表記)George Eliot

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

エリオット(George Eliot)
えりおっと
George Eliot
(1819―1880)

イギリスの女流小説家。本名メアリ・アン・クロスMary Ann Cross、旧姓エバンズEvans。11月22日、ウォーリックシャーのアーバリーに地所差配人の子として生まれる。少女のころは熱心な福音主義者だったが、1841年父とともに移り住んだコベントリーで自由思想家チャールズ・ブレイを知り、その影響のもとで信仰放棄の転機を迎える。D・F・シュトラウス著『イエス伝』の翻訳(1846出版)を手がけたのち、1852~1854年の2年間、進歩的総合誌『ウェストミンスター・リビュー』誌の副主筆として編集に携わった。1854年L・A・フォイエルバハ著『キリスト教本質』を翻訳出版、時を同じくして文筆家ジョージ・ヘンリー・ルイスと手を携えてドイツに向かい、同棲(どうせい)生活に入った。以後ルイスとは正式に結婚しないまま彼の死まで24年間生活をともにしたが、その間彼の勧めで小説執筆に手を染め、1857年中編『エイモス・バートンの悲運』を『ブラックウッド・マガジン』誌に発表、小説家としてデビューした。最初の長編小説『アダム・ビード』(1859)によって作家としての地位を確立、その後、最終作『ダニエル・ディロンダ』(1876)に至るまで、一作ごとに名声を高め、ビクトリア朝小説界に君臨した。ジョージ・メレディスとともに、イギリス小説に真摯(しんし)なる目的意識を付与した功績は大きく、ハーバート・スペンサーが「小説にはロンドン図書館に置くほどのまじめな価値はない」と断言したとき、「ジョージ・エリオットの作品を除いては」という但し書をつけた話は有名である。もっぱら娯楽主眼とした従来の小説に奥行の深い知的世界を繰り広げ、小説の質的変化をもたらした点でイギリス初の近代小説家とよばれる。

 ルイスと死別後、20歳年下の実業家ジョン・ウォルター・クロスと1880年に結婚したが、わずか7か月後の同年12月22日、ロンドンで死去した。

 ほぼ20年に及ぶ作家活動の時期は、『サイラス・マーナー』(1861)に至るまでを前期、歴史ロマンス『ロモラ』(1863)以降を後期と二分されるが、前期の作品が登場人物の胚胎(はいたい)から始まっているのに対し、後期の作品は主題の発想から誕生しているのが特徴である。だが、共感拡張を芸術の目的とし、日常生活における他者とのかかわりのなかに道徳的存在としての人間のあり方を追求する態度は一貫して変わらない。20世紀初頭までは、情感豊かな前期の作品に対する評価がより高く、後期の作品は知性の勝った理性文学として敬遠されがちであったが、現在は人間洞察の円熟度および作品の芸術的完成度において、むしろ後期の作品を重要視する傾向にある。とくに、ある歴史的時点における地方社会の全体像を人間関係の網を通してとらえた『ミドルマーチ』(1871~1872)は、作者の力量が最高峰に達した作品として傑作の呼び声が高く、イギリス近代小説の古典と目されている。

[川本静子]

『川本静子著『ジョージ・エリオット』(1980・冬樹社)』

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