エメット(英語表記)Robert Emmet

改訂新版 世界大百科事典 「エメット」の意味・わかりやすい解説

エメット
Robert Emmet
生没年:1778-1803

アイルランドのイギリスとの合同(1801)直後に独立運動を指導したユナイテッド・アイリッシュメンの一人。兄トマスの影響をうけてトリニティ・カレッジ・ダブリン在学中から活動し,大学中退後ヨーロッパ大陸に渡り,1802年にはナポレオンタレーランとアイルランド独立について論じた。ナポレオンの真意を疑いながらも,ダブリンにもどって蜂起計画をたて,市内各所に武器を蓄えた。03年に英仏戦争が再開されると,ナポレオンのイギリス侵攻計画にあわせて8月に蜂起すべく準備を進めたが,貯蔵していた火薬が爆発したため,7月に,無統制なわずか100人の集団で武装蜂起し,直ちに鎮圧された。エメットは捕らえられ,裁判ののちダブリン市トマス通りで公開処刑された。裁判の際の彼の愛国的な演説は長く語り伝えられて民族主義を鼓吹し,婚約者サラ・カランの悲運はW.アービングやT.ムーアの作品の素材になった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エメット」の意味・わかりやすい解説

エメット
Emmet, Thomas Addis

[生]1764.4.24. コーク
[没]1827.11.14. ニューヨーク
アイルランドの法律家ユナイテッド・アイリッシュメン指導者。 R.エメットの兄。 1798年の蜂起の際逮捕され,1802年オランダに送られる。パリナポレオン1世のアイルランド侵入計画に関係。 04年アメリカに渡って法律家として成功した。

エメット
Emmet, Robert

[生]1778. ダブリン
[没]1803.9.20. ダブリン
アイルランドの愛国者。 T.エメットの弟。ユナイテッド・アイリッシュメン一員。 1802年ナポレオン1世と接触。 03年ダブリン政庁を襲撃したが,捕えられ絞首刑となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android