エドワード1世(読み)エドワードいっせい(英語表記)Edward I

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エドワード1世」の意味・わかりやすい解説

エドワード1世
エドワードいっせい
Edward I

[生]1239.6.17. ウェストミンスター
[没]1307.7.7. カンバーランド,カーライル付近
イギリスプランタジネット朝のイングランド王 (在位 1272~1307) 。ヘンリー3世の子。 1265年シモン・ド・モンフォールを破り,1271年十字軍に参加。父王の死後その跡を継いで即位。父王ヘンリー3世治世の失政と封建諸侯の反王権行動に学んで,王権の強化と国政の整備に努め,種々の改革立法を行ない,「立法者」の名で知られる。また各地の大諸侯,聖職者を招集して,王や裁判官,評議会の正規の議員とからなる集会をたびたび開き,通常の裁判所では効果的に処理できないような法律問題を決定した。集会はそれぞれ6~7週間続き,人々はしだいにこれを議会と呼ぶようになった。特に 1295年 11月スコットランド遠征の戦費捻出のために開かれた議会は,模範議会として知られる。対外的にはウェールズ征服を完成 (1282) し,長子のためにウェールズ大公 Prince of Walesの称号を復活し,この新しい国王直轄地を与えた。以後イングランド王位継承者が必ず受ける太子領となった。しかし対スコットランド干渉には失敗後継者に大きな負担を残した。スコットランド遠征中,死去

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改訂新版 世界大百科事典 「エドワード1世」の意味・わかりやすい解説

エドワード[1世]
Edward Ⅰ
生没年:1239-1307

プランタジネット朝イングランドの王。在位1272-1307年。父王ヘンリー3世晩年の貴族による国政改革の争いに,自らも参加し,即位ののちその経験を生かして,1295年には高位聖職者,有力貴族,各州と諸都市の代表からなる議会(後世〈模範議会Model Parliament〉とよぶ)を召集して課税協賛を得た。また土地保有制を秩序化する法律を制定して中世以来の法を整えるなど,後世のイギリスの国政に基礎をあたえた。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「エドワード1世」の解説

エドワード1世(エドワードいっせい)
Edward Ⅰ

1239~1307(在位1272~1307)

プランタジネット朝のイングランド王。1265年皇太子のとき,父王ヘンリ3世に反抗するモンフォールを敗死させ,即位後は多くの法令を発布,国制を整備し,王権の伸長に努めた。一方,「模範議会」を召集するなど議会制度発展にも尽くした。またウェールズ支配下に入れたほか,スコットランド併合を図ったが,成功をみないうちに病没した。

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367日誕生日大事典 「エドワード1世」の解説

エドワード1世

生年月日:1239年6月17日
イングランド王(在位1272〜1307)
1307年没

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世界大百科事典(旧版)内のエドワード1世の言及

【城】より

…また,ガイヤール城の陥落(1209)が天守の孤立に起因したという経験から,クーシーCoucy城(1225‐40ころ)のように,直径32m,高さ51mという巨大な円筒形天守を城郭の最前面に突出させるという斬新な設計が現れた。 イングランド王エドワード1世(在位1272‐1307)は1283年以降,ウェールズ征服のため多数の城郭を建造したが,これらは〈エドワード式集中型城郭〉と呼ばれ,円塔をつけた二重の城壁で同心状に囲む特色をもち,そのなかでも代表的なハーレックHarlech城(1285ころ‐90)とボーマリスBeaumaris城(1295‐1323)では,高い内城壁を低い外城壁で囲み,整然とした対称形平面であるが,天守はなく,その代りに,それだけで独立した要塞となりうる巨大な城門を内城壁から突出して設けた。これは,城郭は直接的な攻撃によるよりも,謀略や内部からの謀反で陥落することが多いことに配慮し,城門や円塔の独立性を重んじた結果である。…

【スクーン】より

…このとき,国王ケニス・マカルピンがエティブ湖畔の城から戴冠用玉座をここに移し,以後〈スクーンの石(運命の石)〉と呼ばれて1651年のチャールズ2世に至るまでスコットランド王の戴冠場所となった。しかし石自体は1296年にエドワード1世がウェストミンスター・アベーへ運び去った。【長谷川 孝治】。…

【プランタジネット朝】より

…別にアンジューAnjou朝ともいう。イングランド中世のほぼ全時代を支配したが,14世紀初頭のエドワード1世の治世の終りをもって前期と後期に分けられる。
[前期]
 プランタジネット朝はスティーブン王の内乱時代の後をうけてヘンリー2世(在位1154‐89)の即位とともに始まるが,彼は父方よりアンジュー,メーヌ,トゥーレーヌを,母方よりノルマンディーを,また王妃エレアノール(もとフランスのルイ7世の王妃)よりアキテーヌを得て広大な〈アンジュー帝国〉の主君たる地位を占めた。…

【ページェント】より

…王は都市の入口で市長から,その都市の鍵を捧げられ,それをまた市長へ返すという儀式がよく行われるが,これはページェントが王と都市との和解の祝いであることを示している。1298年,エドワード1世の戦勝を祝ってロンドンの魚屋が催した祝祭が最初のページェントといわれている。 16世紀のヨーロッパではとくにページェントが盛んであった。…

※「エドワード1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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