日本大百科全書(ニッポニカ) 「エス」の意味・わかりやすい解説
エス
えす
Es ドイツ語
フロイトの精神分析の用語で心的装置の一つの審級(場所)のこと。イドidともいう。ドイツ語の非人称代名詞のエスを英語に翻訳するとき、『フロイト全集』の英訳者ジェームズ・ストレイチーJames Strachey(1887―1967)がラテン語のイドを使用したため、日本でもイドという訳語が一般に使われていたが、フロイトの原典に帰れという思潮のなかでエスが使われるようになった(Esは英語のitにあたる)。外国語の非人称代名詞は、しばしば自然を支配する非人格な力を表すものであるが(たとえばit rains)、これと同じような意味で、人間の心理も、意識的に統制することのできない未知の力によって規定されていることを表すために、エスという用語が使われる。その意味では、生得的な衝動のようなものである。
フロイトの前期の理論によれば、心は一つの装置のようなものと考えられ、この装置は、無意識、前意識、意識という三つの系からつくりあげられているものと考えられる。後期(1920年以降)になると、心の装置は、エス、自我、超自我という三つの系、すなわち審級からなるものと考えられる。無意識、前意識、意識はエス、自我、超自我とそれぞれ対応するものではないが、エスは、おおむね無意識に対応するものとみなすことができる。前期の考えでは、意識されるか、されないかということが抑圧の概念を中心にして現象論的に考えられているが、後期になると、生物学的、発生的に、まずエスが仮定され、そこから自我や超自我が分化してくるものと考えられるようになっている。この意味では、無意識とエスとはまったく異なる考え方に由来するといわなければならない。精神分析を生物学的でなく心理学的に考えようとする人は、エスを生物学的な意味でなく、言語学的に考えようとしている。その中心人物のラカンは、一般に「エスのあったところに自我が生じなければならない」と訳されるフロイトのことばは適切な翻訳ではなく、エスのあったところに生じなければならないのは、疎外された一連の同一視によって形成される「自我」ではなく無意識の真の主体である「私」であると主張している。
[外林大作・川幡政道]
『フロイト著、小此木啓吾訳「自我とエス」(『フロイト著作集6』所収・1970・人文書院)』▽『ゲオルク・グロデック著、岸田秀・山下公子訳『エスの本――無意識の探究』(1991・誠信書房)』▽『ジャック・ラカン著、ジャック・アラン・ミレール編、小出浩之・鈴木國文・小川豊昭・南淳三訳『フロイト理論と精神分析技法における自我』上下(1998・岩波書店)』▽『G・グロデック、野間俊一著『エスとの対話――心身の無意識と癒し』(2002・新曜社)』