日本大百科全書(ニッポニカ) 「エジプト音楽」の意味・わかりやすい解説
エジプト音楽
えじぷとおんがく
古代エジプトの音楽については、当時の諸王朝の遺跡に残された楽器、絵画、彫刻、浮彫りなどの考古学的・図像学的分析を通して、楽器の形態や演奏法などは、かなりの程度明らかにされている。
先史時代から中王国時代にかけての前半期(前1780年ごろまで)に用いられた楽器には、骨製・木製の拍子木と鳴子、金属製シストルム(がらがらの一種)、葦(あし)製・籐(とう)製の縦笛(多くは4~6孔)、葦製の双管単簧(たんこう)パイプ(クラリネット属)、小型の弓型ハープ(3~9弦)、円形の両面枠太鼓、木製の円筒型太鼓、土製・青銅製の樽(たる)型太鼓などがある。これらの楽器の多くに動物装飾が施されていることから、初期における音楽とアニミズム信仰との関連が推測されており、またのちには、シストルムやハープなどは諸種の神々の象徴と考えられるようになった。新王国時代から末期王朝時代に至る後半期(前332年まで)には、アジアから多くの新しい楽器が流入し、それまで用いられていた楽器は変形もしくは消失した。新しい楽器には、葦製の双管複簧パイプ(オーボエ属)、金属製トランペット、大型のリュート(細い棹(さお)にはフレットがつけられ2~3弦が張られている。プレクトラム使用)、対称型リラ(プレクトラム使用)、大型の角(かく)型ハープ(21~23弦)、長方形の両面枠太鼓などがある。この時代の特徴としては、楽器が大型化したこと、女性の専門的音楽家が目だって活躍したこと、そしてそれまでの静かでおとなしい演奏が、にぎやかで刺激的な演奏に変わっていったこと、などがあげられる。
アレクサンドロス大王のエジプト遠征(前332)以後、ギリシアとの相互影響関係が音楽面でも顕著になった。たとえばアウロス(オーボエ属複簧楽器)やキタラ(大型のリラ属撥弦(はつげん)楽器で、ギターやチターの語源となったもの)などの新しい楽器がギリシアからエジプトにもたらされた一方、エジプト音楽はギリシアの多くの哲学者や歴史家の関心をひき、その一部は実際にギリシア音楽に受け継がれていった。またこれに続くローマ時代(前30年以降)には、キリスト教の一分派であるコプト教会を中心とした音楽が大きな特徴となった。このいわゆるコプト音楽は典礼歌歌唱を主とするもので、これにトライアングル、鐘、金属製カスタネットなどによる簡単な伴奏がついた。
7世紀になるとエジプトはアラビア人によって征服され、イスラム音楽圏内に入った。この時期以後、長期にわたってアラビア、トルコ、アルメニアなどからウード(リュート属)、カーヌーン(チター属)、ラバーブ(リュート属)、ネイ(笛)といったアラビア古典音楽の楽器が数多く流入し、同時に音楽家、作曲家、音楽理論家も移入してきて、演奏面でも理論面でもアラビア化が進んだ。さらに19世紀後半からのイギリスやフランスの支配時代には、西欧音楽の影響も受けるようになり、とくに音楽理論の近代的整備が進められた。今日では、こうしたアラビア系古典音楽のみならず、ミズマール(複簧木管楽器)、アルグール(双管クラリネット)、タブラ(両面太鼓)、タール(枠太鼓)などを用いる民俗音楽も各地で盛んに行われている。
[山田陽一]