出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
オランダの医学者。ネイケルクに生まれ,アムステルダムで医学を修め,1886年脚気調査団に参加してオランダ領東インド諸島に渡り,88年バタビアに新設された病理学研究所長に就任。細菌学興隆の時代を背景に脚気の病原体発見に努力したが成果なく,96年なかば偶然に脚気の原因を解明した。精白米で飼育されたニワトリが人間の脚気に似た多発性神経炎による麻痺を起こし,米ぬかを与えるとすぐ治ることを発見,米ぬか中に微量必須の栄養素が存在することを確認してビタミンB1発見の端緒をつかんだ。帰国してユトレヒト大学衛生学教授となる。1929年イギリスのF.G.ホプキンズとともにノーベル生理・医学賞を受賞。
執筆者:本田 一二
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オランダの生理学者.1883年アムステルダム大学で医学博士号を取得.E. ForsterやH.H.R. Kochのもとで細菌学を学んだ後,オランダ政府の脚気調査団の一員として東インド諸島に赴任し,脚気の病原菌発見をめざした(1886年).2年後にジャワ医学校長に就任し,熱帯医学研究に従事.その間,白米を与えたニワトリが脚気様症状を示し,かつ米ぬかを与えると症状が改善されることを明らかにした(1897年).この研究は,ビタミン概念とビタミン B1 の発見へつながる.この業績で,1929年F.G. Hopkins(ホプキンス)とともにノーベル生理学・医学賞を受賞.ただし,かれは白米に含まれる毒素が脚気の原因で,米ぬか中に解毒物質があると考えていた.1901年G. Grijnsが米ぬか中の未知の栄養素の欠乏が原因であると主張し,かれものちにそれを認めた.1896年に帰国して,ユトレヒト大学教授となる(1898~1928年).
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
(長門谷洋治)
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…そこで,この実験的事実に基づき,海軍の兵食改革をして脚気患者を激減させることに成功した。 一方,バタビア(ジャカルタ)の病理研究所長であったオランダのC.エイクマンは,96年白米で飼育したニワトリが脚気様症状を呈し,米ぬかを加えると症状が改善することを発見した。このような現象は他の鳥類にもみられるところから〈鳥類白米病〉と呼ばれたが,彼は原因は白米中の毒素によるものと考えたが,弟子のグリーンスG.Grijnsは,米ぬかに未知の必須栄養素を含んでいるためと主張,1906年にエイクマンはこれを認め,白米がこの必須栄養素を欠くためだと推定した。…
※「エイクマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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