出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…オルゴーはモンゴルの遊牧生活を反映して20回以上移動し,18世紀末にいたってボグド山北麓を流れるトラ川北岸の地にほぼ落ち着き,以後大きく発達した。1706年以後イフ・フレー(〈大寺院〉の意)と称され,中国人はこれを庫倫(クーロン)と称したが,欧人は依然ウルガと称した。1911年の独立宣言後ニースレル(〈首都〉の意)・フレーと称され,人民革命後の24年に現名(〈赤い英雄〉の意)となった。…
…11年夏には彼らの代表がひそかにロシアへ赴いて援助を要請した。 同年10月辛亥革命により清朝が倒れると,ハルハの王公・仏教僧は独立を宣言,ウルガ(ウランバートル)の活仏ジェブツンダンバ・フトクト(ボグドゲゲン)を皇帝とするボグド・ハーン政府を樹立した。ボグド・ハーン政府は内モンゴルをも含めた大モンゴル国建設をめざしたが,ロシアは当時の国際情勢を考慮し,中国宗主権下で外モンゴルに自治を行わせることで問題を収拾しようとして,まずボグド・ハーン政府と〈露蒙協定〉(1912年11月)を結び,ついで中国との間で〈露中宣言〉(1913年11月),最終段階として関係3国による〈キャフタ協定〉を15年6月に調印した。…
※「ウルガ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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