ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウスペンスキー」の意味・わかりやすい解説
ウスペンスキー
Uspenskii, Gleb Ivanovich
[没]1902.4.6. ペテルブルグ
ロシアの作家。 1861年ペテルブルグ大学に入学,翌年モスクワ大学に転学したが,経済的理由で中退。その頃から作品を書きはじめ,地方都市下層民の生活を描いた記録文学集『ラステリャーエワヤ街の風習』 Nravy Rasteryaevoi ulitsy (1866) や『零落』 Razoren'e (69) を『現代人』誌に発表して文名を高めた。その後,『農村日記抄』 Iz derevenskovo dnevnika (77~80) ,『農民と農民労働』 Krest'yanin i krest'yanskii trud (80) ,『大地の力』 Vlast' zemli (82) などの代表的な作品で,農村への資本主義の浸透,農村共同体の崩壊,農民の階級分化と意識の変化などを人民主義の立場から克明に描き,ゆるぎない地歩を築いた。しかし,ナロードニキ運動の敗北と挫折により,晩年は精神錯乱に陥って自殺した。
ウスペンスキー
Uspenskii, Nikolai Vasil'evich
[没]1889.11.2. モスクワ
ロシアの作家。 G.I.ウスペンスキーのいとこ。郷里の神学校卒業。ペテルブルグ大学中退。 1857年に発表した短編『老婆』 Starukh,『洗礼』 Krestinyが N.ネクラーソフに認められ,以後『現代人』誌に『民衆生活の記録』 Ocherki narodonovo bytaという総題で一連の短編を発表し人気を博した。やがて民衆生活を否定的に描き,ネクラーソフと決別するに及んで文壇から見放され,極貧のうちに自殺した。
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