精選版 日本国語大辞典 「ウォーレス」の意味・読み・例文・類語
ウォーレス
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アメリカ合衆国の政治家。アイオワ州生れ。農業新聞編集長として農民運動に参加していたが,1933年にF.D.ローズベルト大統領によって農務長官に任命され,ニューディール政策のもと,農業生産調整,小作農扶助等の執行にあたる。この間農業政策以外へも関心を広げ,大統領の強い意向で41年から副大統領に就任して民主党リベラル派の指導的政治家となるが,44年民主党全国大会でトルーマンに敗れ,翌年から商務長官に転ずる。トルーマン大統領の対ソビエト強硬外交を公然と批判して46年9月辞任,新たに結成された第三党の進歩党大統領候補として,米ソ協調を主張し共産党の支援も受けて48年選挙に出馬するが,2.4%の得票にとどまる。50年に政界から引退。戦後確立したアメリカの冷戦外交に代わる政策選択肢を,終戦後いち早く提唱した政治家として,アメリカ現代史上注目されることが多い。著書に《世界平和へ》(1948)などがある。
執筆者:久保 文明
アメリカ合衆国の政治家。農家に生まれアラバマ大学法学部を独力で卒業。第2次大戦後同州の政界に入る。州権主義と白人優越主義の固守を掲げて登場したアラバマ州知事(1963-67,71-79)。1963年知事就任式で〈今こそ人種差別を,明日もまた未来永劫に人種差別を!〉と叫び,当時もりあがった黒人闘争と連邦政府の人種的共学政策への反撃の先頭に立った。64年には反対党(共和党)の大統領候補ゴールドウォーターを支持し,68年には民主党を脱党して自らアメリカ独立党を結成して大統領選に出馬,一般票の13.6%を獲得する。得票数の7割は南部白人,3割は北部都市の白人低所得者層から投ぜられた。72年凶弾を受けて負傷し,大統領選出馬を断念する。
執筆者:中島 和子
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1888~1965
アメリカの政治家。進歩派民主党員。F.D.ローズヴェルト政権の農務長官,ついで副大統領。第二次世界大戦後トルーマン政権の反ソ政策を批判して,48年進歩党を結成して大統領選挙に出馬したが敗北。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…生物進化のしくみの中で,最も重要なものと考えられている過程。C.ダーウィンとA.R.ウォーレスが1858年に提出した進化論における進化要因論の中心をなす概念であり,現代進化学においても重要な地位を占める。 今日,この言葉はいくつかの意味に用いられている。…
…
【ダーウィンの進化論】
C.ダーウィンが種の起原,つまり進化についての系統的研究を始めたのは,ビーグル号航海から帰った翌年の1837年,28歳のときであり,学説の骨格も早く成り立っていたが,公表されたのは58年7月1日のリンネ学会においてである。マレー諸島滞在中のA.R.ウォーレスから送られてきた論文が,ダーウィン自身の自然淘汰説と同趣旨であり,結局,両者の論文を同じ表題のもとにおいたジョイント・ペーパーとして発表することになったのであった。この論文はほとんど理解されず,ダーウィンが急ぎ自説をまとめた著作《種の起原》が,翌59年11月に刊行されて初めて思想界に風雲を巻き起こすことになった。…
…まず第1の定義はC.ダーウィンの学説ということだが,それにもかれの学説の中心であった自然淘汰説をさす場合と用不用説などを含めた学説全体をさす場合とがある。ダーウィンと同時に自然淘汰説を公にしたA.R.ウォーレスはのちに自著の表題を《ダーウィニズム》(1889)としたが,これは前者の場合にあたる。ダーウィニズムの語で進化論一般をさした場合もあり,とくに進化論が大きな思想的影響を与えつつあった時代には進軍の旗印の役もした。…
…当時は進化思想に対して世間が寛容でなかったため,十分説得力のある著作を出すことが必要であると感じ,大部な著作《自然淘汰》をまとめようとした。しかし,執筆の途中,1858年,マレー諸島のテルナテにいたA.R.ウォーレスから生存闘争と自然淘汰の考えによる種の問題に関する論文が送付されてきたため,執筆は中止された。そして地質学者ライエル,植物学者フッカーJ.D.Hookerらのはからいでダーウィンの未発表論文の一部とアメリカの植物学者A.グレーへの手紙が,ウォーレスの論文とともにロンドンのリンネ学会で発表され,自然淘汰説がはじめて世に出た(1858)。…
…現在では,ヨーロッパ,アジアとアフリカを含めて旧世界,南北アメリカは新世界と呼び,ユーラシア大陸は旧北区,北アメリカは新北区,両者を合わせて全北区とし,アフリカはエチオピア区,インド,南アジアは東洋区,南アメリカは新熱帯区,オーストラリアは太平洋諸島を含めてオーストラリア区と呼ぶのが一般的である。動物地理区分の提唱はスクレーターP.L.Sclaterの鳥類(1858),哺乳類(1894)についてのものが最初で,A.R.ウォーレス(1876),T.H.ハクスリー(1868)などが続いたが,いずれも鳥獣の分類地理学的な検討に基づくものであった(図1)。ダールF.Dahlなどによる生態的環境区分を考慮し,北極圏,南極圏などを認める方式も提唱された(1925)。…
…それゆえ,アイオワといえば農業もしくは農村を連想するのが一般的で,ソ連のフルシチョフが訪問した農場もアイオワであった。フーバー大統領とならんで州の生んだ最も著名な政治家が,ニューディール期に農務長官をつとめたH.A.ウォーレスであったことも,農業州を象徴している。【正井 泰夫】【岡田 泰男】。…
…第3は1948年,トルーマン・ドクトリンにみられる対ソ強硬路線に不満をもつ民主党員を中心に結党(進歩党と邦訳されることが多い)。ヘンリー・ウォーレスを大統領候補に立てて公民権法の成立やタフト=ハートリー法の撤廃を求めたが,大きな勢力にはいたらなかった。【青木 怜子】。…
…革新党とも訳される。1946年にトルーマン政権の商務長官の座を去ったH.A.ウォーレスが組織した〈アメリカの進歩的市民(PCA)〉を軸に,ニューディール左派,CIOの一部,全米有色人種向上協会(NAACP),全国農民連盟などの勢力を糾合。48年7月の党大会でみずからF.D.ローズベルトの掲げた理念の真の継承者たることを主張し,基幹産業の漸進的公有化,タフト=ハートリー法の撤廃,人種差別の廃止,対ソ平和外交の確立などを骨子とする綱領を採択,ウォーレスを大統領候補に指名した。…
※「ウォーレス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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