ウォッシュバーン(読み)うぉっしゅばーん(英語表記)Carlton Wolsey Washburne

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウォッシュバーン」の意味・わかりやすい解説

ウォッシュバーン
うぉっしゅばーん
Carlton Wolsey Washburne
(1889―1968)

アメリカの教育改革家。シカゴ大学スタンフォード大学で学び、サンフランシスコ州立師範学校教師(1914)、ウィネトカ市視学(1919~1945)となり、市の小・中学校でウィネトカ・プランWinnetka Planとよばれる教育法を指導した。これは、カリキュラムを、最小限の基本教科common essentialsに関するものと、集団・創作活動に関するもの、つまり芸術鑑賞、運動、集会、プロジェクト(構案)などの活動とをもって構成し、それらを、定められた標準standardに向かって自学自習方式で学習させるという特色をもっていた。1935年、東京での汎(はん)太平洋教育会議では、彼自身が出席してこのプランを紹介した。第二次世界大戦後イタリアのミラノ総領事、ブルックリン大学教授(1950)となった。著書に『ウィネトカ公立学校』A Survey of the Winnetka Public Schools(共著・1925)、『子供にあわせた学校』Adjusting the School to the Child(1932)、『生きた教育哲学A Living Philosophy of Education(1940)などがある。

[村井 実]

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改訂新版 世界大百科事典 「ウォッシュバーン」の意味・わかりやすい解説

ウォッシュバーン
Carleton Wolsey Washburne
生没年:1889-1968

〈ウィネトカ・プランWinnetka Plan〉を創始したアメリカの進歩主義教育家。シカゴで生まれ,少年時代を進歩主義教育で育つ。スタンフォード大学卒業後,ロサンゼルス郡で教師として個別学習を実践,さらにサンフランシスコの州立教育大学の学長バークF.L.Burkの下で個別的教育法を研究,訓練した。1919年シカゴ郊外ウィネトカの教育長となり24年間在職,その公立学校で生徒の学習の個別化と社会的創造的集団活動を基調とする新教育を実施した。第2次大戦後連合軍によるイタリアの教育改革の顧問としてファシズムおよび共産主義と対決し,50年からはブルックリン大学の教員養成部長となった。この間,アメリカの進歩主義教育協会の会長(1936-40),国際的な新教育連盟の総裁(1948-56)を務めたほか,諸外国の教育視察や著作も多く,1931年にはアジアの教育事情の視察で日本にも立ち寄り,成城学園などを訪れた。
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367日誕生日大事典 「ウォッシュバーン」の解説

ウォッシュバーン

生年月日:1889年12月2日
アメリカの教育家
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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