ウェイン(英語表記)John Wayne

デジタル大辞泉 「ウェイン」の意味・読み・例文・類語

ウェイン(John Wain)

[1925~1994]英国の詩人・作家批評家。社会に抵抗する若者を描いた新悪漢小説「急いで下りろ」で注目された。他に詩集「神の前に泣け」など。

ウェイン(John Wayne)

[1907~1979]米国の映画俳優西部劇ハリウッド一時代を画した。出演作「駅馬車」「静かなる男」「アラモ」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「ウェイン」の意味・わかりやすい解説

ウェイン
John Wayne
生没年:1907-79

アメリカの映画俳優。アクション映画の〈不滅のヒーロー〉として,アメリカの力と理想のシンボルとなり,〈アメリカの巨人〉〈生きているアメリカの伝説〉と呼ばれるまでに至ったハリウッド最後のスーパースター。史上最高の〈マネーメーキングスター〉として不動の地位を占め,1932年から80年までのアメリカ映画の統計によれば,2位のゲーリー・クーパーを遠く引き離している。アイオワ州ウィンターセットに生まれる。本名マリオン・マイケル・モリソン。子どものころからの愛称〈デューク〉で親しまれた。雑用係,スタントマンなどからJ.フォード監督の映画のエキストラとしてハリウッド入りした。1930年,フォードの推薦でR.ウォルシュ監督の西部劇《ビッグ・トレイル》の主役に抜擢(ばつてき)されるが(ジョン・ウェインの名まえはそのときにウォルシュからつけてもらった),その後31-38年に58本に及ぶ〈早撮り西部劇(クイッキー・ウェスタン)〉と呼ばれるB級映画に主演。39年,フォード監督の名作西部劇《駅馬車》で一躍スターの座に上った。《コレヒドール戦記》(1945),《硫黄島の砂》(1949)などで〈戦場の英雄〉を演じて人気を得,また,H.ホークス監督の西部劇《赤い河》(1948)で若き日のカウボーイから老け役まで演じて演技力と風格のある第一級のスターとして認められ,以後,《黄色いリボン》(1949),《静かなる男》(1952),《捜索者》(1956)などの一連のフォード作品では主として〈家庭〉にあこがれながらもそこからはじき出される主人公を,《リオ・ブラボー》(1959),《ハタリ!》(1962)などのホークス作品では従来の完ぺきなヒーローとは似て非なる人間的なやさしさをそなえたヒーローとしての〈ジョン・ウェイン神話〉を形象することになる。〈ローリング・ウォーク〉と呼ばれる,特徴ある歩きっぷりは,スタントマンの親友ヤキマ・カヌート(《駅馬車》のスタント監督であり,ジョン・ウェインの身代りをすべてやっている)とともに考え出したトレードマーク的歩き方であった。けんかの〈型〉もその〈振付け〉も,ヤキマ・カヌートとともに編み出したものであり,その後の西部劇の殴り合いシーンの〈振付け〉の基本を作ったといわれる。私生活では64年に肺癌で片肺を切除するが,以後,10年以上アクションスターとして衰えを見せぬ活躍ぶりで〈不滅の巨人〉の名をほしいままにした。しかし,癌におかされて死んでいく主人公を演じた《ラスト・シューティスト》を撮ったのち,再び癌に倒れ,病におかされながらも闘い続ける〈ヒーローの神話〉は絶頂に達したかに見えたが,79年死去。モーリン・オハラらの呼びかけで,アメリカ国民栄誉章が贈られた。長身でがっしりとした体格の彼が演じたヒーローは,ハンサムで正直で義理がたく,思いやりがあって献身的で,勇敢で,名誉を重んじ,義務感が強く,リーダーの貫禄があり,自己犠牲をおそれず,愛国心に富むという〈アメリカ男性の理想像〉であり,その意味では〈アメリカ神話〉の体現者であったのである。H.ハサウェイ監督の西部劇《勇気ある追跡》(1969)の独眼竜の老ガンマン役でアカデミー主演男優賞を獲得。同時代の多くのスターが,みな年齢と時代の推移とともに西部劇を離れて都会劇の役をやるようになったが,ジョン・ウェインだけは老いて死ぬまで西部劇に出演し続けた。〈最後の西部劇スター〉と呼ばれるゆえんである。政治的にはハリウッドのタカ派として知られ,1968年にはアメリカのベトナム侵略を鼓舞する《グリーン・ベレー》をみずから監督,主演した(監督作品はほかに,これも〈愛国精神〉に貫かれた西部劇大作《アラモ》(1960)がある)。
執筆者:

ウェイン
John Barrington Wain
生没年:1925-94

イギリスの詩人,小説家。スタッフォードシャーに生まれる。オックスフォード大学のセント・ジョンズ・カレッジ卒業後,1947年から55年までレディング大学で教え,文筆に専念するため辞職。処女作《複雑な気持》(1951)で最初詩人として出発したが,当時の根なし草で無礼な若者を描いた一種のピカレスク小説《急いで下りろ》(1953)で〈怒れる若者たち(アングリー・ヤング・メン)〉の一人として一躍有名になり,《現在に生きること》(1955),《競争者たち》(1958),《旅する女》(1959),《父親を殴り殺せ》(1962),《山の冬》(1970)など長編を継続的に発表し,モーム賞を受賞(1958)しているが,その作風は徐々に深みを増し,彼が単なる反因襲派ではないことを示している。また《神の前に泣け》(1961)ほかの詩集だけでなく,《アーノルド・ベネット》(1967),《サミュエル・ジョンソン》(1974)などの評論活動も多く,エーミスなどとともに50年代に現れた政治的に中立で知的に経験主義を重んじるニュー・ムーブメントの代表的存在である。
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百科事典マイペディア 「ウェイン」の意味・わかりやすい解説

ウェイン

米国の映画俳優。本名マリオン・マイケル・モリソン。〈デューク〉の愛称で親しまれた。アイオワ州生れ。1929年デビュー。1939年J.フォード監督の西部劇駅馬車》の主役に起用され,以後アメリカ映画の代表的男性スターとなる。戦後《黄色いリボン》(1949年),《捜索者》(1956年)等一連のフォード作品をはじめ,H.ホークス監督《リオ・ブラボー》(1959年),《ハタリ!》(1962年)などに出演し,〈アメリカ神話〉を体現する存在として活躍した。監督作品は《アラモ》(1960年)。
→関連項目シーゲル

ウェイン

英国の詩人,小説家。長編《駆けおりろ》(1953年)でアングリー・ヤング・メンの一人となる。《現在に生きる》(1955年),《旅する女》(1959年),《父親をなぐり殺せ》(1962年)等の長編,詩集《敷居に刻んだ言葉》(1956年),自伝《快調に走る》(1962年)等がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウェイン」の意味・わかりやすい解説

ウェイン
Wain, John (Barrington)

[生]1925.3.14. スタッフォードシャー,ストークオントレント
[没]1994.5.24. オックスフォード
イギリスの小説家,詩人。オックスフォード大学卒業後,小説『急いで駆けおりろ』 Hurry on Down (1953) で有名になり,「怒れる若者たち」の一人に数えられた。ほかに『シェークスピアの世界』 The Living World of Shakespeare (64) ,『真実の家』A House for a Truth (72) などの評論,『神の前で泣け』 Weep Before God (61) などの詩集がある。 1973~78年オックスフォード大学詩学教授。

ウェイン
Wayne, John

[生]1907.5.26. アイオワ,ウィンターセット
[没]1979.6.11. ロサンゼルス
アメリカの映画俳優。 1929年映画界に入り,39年『駅馬車』で一躍スターの座を築く。以来西部劇,アクション物を中心に,ジョン・フォード監督とのコンビで『アパッチ砦』 (1948) ,『黄色いリボン』 (49) ,『静かなる男』 (56) など,数々の名作を生み出す。アメリカ映画界の代表的スター。『勇気ある追跡』 (69) でアカデミー主演男優賞受賞。『グリーン・ベレー』 (1968) では監督も兼ねた。

ウェイン
Wayne, Anthony

[生]1745.1.1. ペンシルバニア,ペーオリ付近
[没]1796.12.15. ペンシルバニア,プレスクアイル
アメリカの軍人。独立戦争時各地で奮戦し,独立後の 1794年フォールンティンバーズの戦いで北西部インディアン連合軍を破り,シカゴ河口周辺に約 15万 km2の土地を獲得した。その後も対インディアン戦争を指揮。

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世界大百科事典(旧版)内のウェインの言及

【ネオ・ピカレスク小説】より

…第2次世界大戦後の1950年代からイギリスで流行した一連の小説に与えられた名称。J.B.ウェインの最初の小説《急いで下りろ》(1953)などがその典型で,主人公がまっとうな社会に属することを拒否し,職を転々と変えながら,既存の社会体制に対する痛烈な風刺の矢を加えていく。一貫した筋はなく,挿話の連続で,主人公の性格上の発展や精神的成長はない。…

【駅馬車】より

…1台の駅馬車に乗り合わせた9人の男女のキャラクターを鮮やかに浮彫にしつつ,蜂起したアパッチ族が待つ土地を通り抜けていく開拓時代の危険な旅を,あるときは伝説を見はるかすように,またあるときは強烈な臨場感をもって描いた。〈作家の個人的スタイル〉をもった最初の西部劇であるとたたえられ,肉親の復讐を果たすために脱獄して駅馬車に乗り込むリンゴー・キッド(ジョン・ウェイン)をヒーローにすえたことによって,それまでの単純な原型的ヒーローが社会を救う〈古典的プロット〉の西部劇とは構造の異なる〈復讐テーマ〉の西部劇の最初の1本となったと分析される。ジョン・ウェインは,西部劇を象徴するスーパースターへの道を歩むことになる。…

【西部劇】より

…しかし,そのケネディ大統領が63年に凶弾に倒れ,アメリカがベトナム戦争の泥沼に踏み込んでいき,〈ブラックパワー〉や〈レッドパワー〉が大きく台頭してくるにつれて,西部劇は沈滞し,あるいは暗い内容におちこみ,ジョン・フォード監督はその最後の西部劇《シャイアン》(1964)でインディアン迫害の歴史を追悼し,70年代に入るや,ベトナム戦争のイメージでインディアン大虐殺を主題にした《ソルジャーブルー》(1970),《小さな巨人》(1970)などがつくられる等々。いずれにせよ,西部劇はかつての単純明快な,アクション中心の娯楽映画の系列からは遠く離れたものになり,そして,最後まで豪快な西部劇の定石を守り続けたハワード・ホークス監督も《エル・ドラド》(1967)と《リオ・ロボ》(1970)を最後に現役を退き,さらに79年,〈西部の巨人〉として西部劇の象徴であった大スター,ジョン・ウェインが自分自身を主人公にしたような癌に苦しむ老ガンマンの最期を描いた《ラスト・シューティスト》(1975)を遺作にこの世を去り,アメリカ西部劇の歴史は閉じられたという感慨がある。【岡田 英美子】【広岡 勉】。…

【捜索者】より

…1956年製作のジョン・フォード監督の西部劇。《荒野の決闘》(1946)から《シャイアン》(1964)に至るフォードの戦後の西部劇の頂点とみなされ,フォード自身のことばによれば〈家族の一員になることができなかった1人の孤独な男の悲劇〉を描いた詩情あふれるフォード西部劇の集大成でもあり,また,人種偏見と憎しみに生きる孤独な男の心のなかに突如愛とヒューマニズムがよみがえる瞬間をみごとに感動的に演じてジョン・ウェインの最高作ともみなされる作品である。《西部劇――夢の伝説》(1973)の著者F.フレンチは,戦後の西部劇をアメリカの政治との関連において〈ケネディ西部劇〉と〈ゴールドウォーター西部劇〉に大別し,1950年以降のフォード西部劇は後者に属し,なかでもその典型が《捜索者》であるとしている。…

【ダーティハリー】より

…《マンハッタン無宿》はシーゲル=イーストウッド・コンビの出会いの作品であり,《ダーティハリー》は4作目に当たる。このヒットによりイーストウッドは〈マネー・メーキング・スター〉のトップの座をジョン・ウェインから奪うが,皮肉なことにウェインはイーストウッド以前に《ダーティハリー》の出演交渉をうけて断わっていたといういきさつがある。アメリカでは法制度を軽視して〈ビジランティズム(自警団制度)〉を賛美する〈反動的〉〈ファシスト的〉映画だとの非難も浴びたが,アクション映画としての群を抜く刺激にあふれた作品であるという評価では衆目の一致するところとなっている。…

【ハタリ】より

…ハワード・ホークス監督作品。東アフリカのタンザニアにロケし,猛獣生捕りのプロフェッショナルたちの活動を描いているが,ホークス自身も〈これは西部劇の中に入れてもいい〉といっているように,主役のジョン・ウェインを中心に老・壮・青年の3世代に美女を加えたグループのチームワークが生み出す楽しさという点で《リオ・ブラボー》(1959)に始まり《エル・ドラド》(1966),《リオ・ロボ》(1970)とつづく西部劇三部作の〈番外編〉と見ることができる。3世代にまたがる人物配置,チームワークなどは《コンドル》(1939),《果てしなき蒼空》(1952)など,他のホークスのアクション映画にも見られる特徴であるが,《リオ・ブラボー》三部作では,そのグループが倒すべき〈敵〉や果たすべき目的よりもグループ内部の人間関係に多くの比重が置かれており,そうした特質は,〈敵〉の存在がなく,ほとんどプロットらしいプロットのない《ハタリ!》では,さらに純粋なかたちで発揮され,サイをトラックで追って捕獲する見せ場などの壮快なアクション,ヘンリー・マンシーニ作曲の挿入曲《子象の行進》に象徴されるユーモアと相まってきわめて異色の娯楽性に満ちたアクション映画となっている。…

※「ウェイン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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