日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ウィーン(Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien)
うぃーん
Wilhelm Carl Werner Otto Fritz Franz Wien
(1864―1928)
ドイツの物理学者。東プロイセンの地主のひとり息子として育ち、ゲッティンゲン大学に入学、まもなくして帰郷したが、ふたたび勉学を志し、ベルリン大学に入学、ヘルムホルツの下で物理学を学んだ。1886年、光の回折現象に関する研究で学位を取得した。このころ、家業を継ぐか学究生活に入るか、思い悩んだようである。1890年、師ヘルムホルツが所長職にあった国立物理工学研究所の助手となり、照明・冶金(やきん)などの工業技術を背景とする熱放射の研究に乗り出し、まず熱電対などの高温測定技術を手がけ、1895年には小孔を備えた空洞放射は黒体放射に相当するとの評価を与え、放射実験に取り組んだ。また熱力学的考察から放射圧という卓抜なアイデアに注目し、変位則を証明(1893)、ついで熱放射のエネルギー分布式を、気体分子運動論上の手法である速度分布則を大胆に持ち込んで導出(1896)、現代物理学の重要な原理である量子仮説の発見の契機を与えた。1896年研究統制の厳しくなった研究所を辞め、アーヘン工科大学に移った。その後、ギーセン大学を経てウュルツブルク大学、ミュンヘン大学の教授と総長を務めた。この間、陰極線・陽極線・X線などの本性と成因に関する研究、理論物理学の方法論、流体力学など多方面に優れた業績をあげるとともに、『実験物理学大系』Handbuch der Experimentalphysik全26巻を監修刊行し、物理学の発展に貢献した。第一次世界大戦中には多数の科学者・技術者を集めて通信器用真空管の生産に携わった。なお、文学や政治史にも造詣(ぞうけい)が深かった。1911年熱放射に関する諸発見の功績によってノーベル物理学賞を受けた。
[兵藤友博]