日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィリアム(1世)」の意味・わかりやすい解説
ウィリアム(1世)
うぃりあむ
William Ⅰ
(1027/1028―1087)
ノルマンディー公(2世。在位1035~87)、イングランド王(征服王the Conqueror。在位1066~87)。ノルマンディー公ロベール1世Robert Ⅰ(?―1035。在位1027~35)の庶子。父の死後ノルマンディー公となったが、貴族らの反乱に苦しみ、1047年バル・エイ・デューンの戦いに苦戦、フランドルの協力を得て57年バラビーユの戦いでフランス王アンリ1世を撃破して、ノルマンディー公領の統轄に成功した。51年と64年には後継子のないエドワード懺悔(ざんげ)王からイングランド王位後継の約束を得ていたが、66年懺悔王の死後ハロルド2世が王位についたのに反対してイングランドに上陸、ノルマン騎兵軍をもってヘースティングズの戦いでハロルド2世を敗死させ、同年末ロンドン入城を果たして王位につき、ノルマン朝を開いた。
その後、各地の反乱の鎮定に多忙であったが、カンタベリー大司教ランフランクの内助を得てイングランド教会の統一、ローマ教会との関係の修復にも成功した。彼は、ノルマン貴族を各地に封じて大陸的な軍事的封建制度を導入するとともに、1086年8月ソールズベリーで貴族らから忠誠誓約Oath of Salisburyをとったように集権的な統治を行い、全国的検地を施行してドゥームズデー・ブックという土地台帳を86年末に編纂(へんさん)させた。しかしその間、フランス王フィリップ1世の攻撃に苦しみ、国内でも義兄弟バイユー司教オドと対立し、さらに長男ロベールの再三の反乱にあうなど、その治世は多難であった。ノルマンディーにおいてフィリップ1世と交戦中、87年9月9日死去。
[富沢霊岸]