ウィット(英語表記)wit

翻訳|wit

改訂新版 世界大百科事典 「ウィット」の意味・わかりやすい解説

ウィット
wit

語源的には〈認識する力〉〈知性〉を意味するが,やがて機知機転などをさすようになった。それは17~18世紀ヨーロッパの文学が主知的傾向を強め,しかも宮廷社交界で知的洗練をきそう風潮が高まった結果である。思いがけない気のきいた言いまわしでぴたりと表現してみせる才気の文学が,〈ウィット〉の文学としてもてはやされた。しかし19世紀のロマン主義時代には,その種の理知的な傾向は嫌われ,〈ウィット〉は文学上の美徳地位を失うことになる。それがあらためて脚光をあびるのは,20世紀の反ロマン主義,すなわち新しい主知主義の結果である。〈ウィット〉はたんに表現技術の問題ではなく,概念把握の深く鋭い形態として称揚されるようになった。バレリーやT.S.エリオットはこの新しい〈ウィット〉の文学を代表しているし,この新しい視点から17世紀文学の〈ウィット〉の再評価もおこなわれた。
執筆者:

ウィット
Otto Nikolaus Witt
生没年:1853-1915

ドイツの工業化学者。ペテルブルグに生まれ,ロシアで教育を受ける。チューリヒのポリテクニクを卒業後,1873年フルカン製鉄所の分析技術者となる。74年ハルトのプリント工場に勤めて,染料関心をもつようになった。75年,ロンドン近くのウィリアムズ・トマス・アンド・ダウアー商会の染料工場で研究した後,79年帰国して,マンハイムの化学会社に勤めた。86年ベルリン工科大学で学位を取り,91年教授となる。多くの染料研究の中で,色が発色団の存在または原子配列に関係していることを明らかにしたウィットの法則の発見(1876),アゾ染料トロペオリンの合成(1879)が特筆される。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィット」の意味・わかりやすい解説

ウィット
Witt, Johan de

[生]1625.9.24. ドルトレヒト
[没]1672.8.20. ハーグ
オランダの政治家。ドルトレヒト市長の子。ハーグで弁護士となり,1650年にドルトレヒト市の法律顧問。議会派オランニェ党 (総督派) の争いにおいて,前者の指導者として頭角を現し,53年ホラント州議会の法律顧問として議長,首相,外相を兼ねる地位についた。第1次イギリス=オランダ戦争後,外交,国内改革,海軍力増強に専念し,第2次イギリス=オランダ戦争でイギリス海軍に打撃を与えた。 70年フランス軍のオランダ侵入に政治責任を負って引退後,ハーグでオランニェ党の暴民に虐殺された。深い学殖と抜群の政治的才幹によってオランダの国力と海上商業を絶頂期に導いたばかりでなく,北方戦争 (1655~60) に介入してデンマークを援助し,イギリス,スウェーデンと対仏三国同盟を結ぶなど 17世紀ヨーロッパ有数の大政治家であった。

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百科事典マイペディア 「ウィット」の意味・わかりやすい解説

ウィット

機に応じて即妙に働くおかしみの表現。機知。語源的には〈認識する力〉〈知性〉を意味する。情緒的なユーモアに対し理知的。文学では知的洗練をきそった17―18世紀の作品,バレリー,T.S.エリオットら20世紀前半の主知主義的文学などにみられる。

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世界大百科事典(旧版)内のウィットの言及

【風習喜劇】より

…つまり風習喜劇とは,内容においても支持層においても,田舎よりも都会の,また庶民やブルジョアよりも貴族の劇だったのである。最も重視された価値基準は,ものごとを知的かつ批判的にとらえる能力としての機知witである。登場人物は大別すると機知を備えた者,機知を備えてはいないのに備えているつもりでいる者,機知とまったく無縁である者,の三つの型に属し,第1の型が第2および第3の型を見下して笑うというかたちで喜劇が成立する。…

※「ウィット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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