インド舞踊(読み)インドぶよう

改訂新版 世界大百科事典 「インド舞踊」の意味・わかりやすい解説

インド舞踊 (インドぶよう)

インドには数多くの芸術舞踊や民俗舞踊があるが,芸術舞踊といわれているもののほとんどは,《ナーティヤ・シャーストラ》の理論に基づいている。インドの舞踊は古くから今にいたるまで,音楽や文学,絵画,彫刻と密接な関係をもち,人々にたいへん愛好されてきた。モヘンジョ・ダロハラッパーの遺跡からも,踊子と思われる像が発掘されている。また,神話の中には舞踊と関係の深い神々がおおぜいおり,《ラーマーヤナ》や《マハーバーラタ》の叙事詩の中の人物にも,舞踊に優れた者が多い。人気の高いクリシュナ神は笛の名手であり,踊手だとされている。歴史的な証拠としては,サーンチーマトゥラーアマラーバティーナーガールジュナコンダエローラなどの古代寺院の彫刻には舞踊のポーズが多く見られ,それらは《ナーティヤ・シャーストラ》に述べられた理論と合致する。

 中世の寺院にも舞踊の彫刻が多い。11世紀に建立されたタンジョールのブリハッデーシュバラ寺院のカラナkarana(舞踊のポーズ)は,カラナの彫刻された最初のものである。

 中世にはまた理論書が多く書かれた。その中で重要なのは《サンギータ・ラトナーカラ》である。13世紀ころからは地域ごとに異なる言語や文化が発達し,それぞれの舞踊の理論書や指南書が書かれた。この時代の舞踊は基本的には《ナーティヤ・シャーストラ》によりながら,他方,地域様式を成立させ,この地域様式が現在のバーラタ・ナティヤム,カタカリマニプリManipuri,オリッシOrissi,カタックなどの芸術舞踊へと発展していった。11世紀から12世紀ころまでは,シバ神を題材としたものが多かったが,ジャヤデーバによりクリシュナ神の物語《ギータゴービンダ》が書かれた後は,ビシュヌ神やその化身であるクリシュナ神を扱ったものが多くなる。

 理論書《アビナヤ・ダルパナ》や《サンギータ・ラトナーカラ》によると,舞踊はヌリッタヌリティヤ,ナーティヤに分けられる。ヌリッタは純粋舞踊のことで,特定のバーバ(表情)を表現せず,動きは表示的な意味を持たない。ヌリティヤは歌詞に対応する内容を手の動きなどで表現する表示的舞踊で,ナーティヤは身体の動きによって表現する舞踊である。また別の分類には,ターンダバラースヤがある。前者は力強い荒々しい要素,後者は女性的な優美な要素を意味する。芸術舞踊はすべてこの二つの分類方法を理論上用いているが,実践的には,もう一つ別の分類を使用している。つまり,ヌリッタとアビナヤabhinayaである。ヌリッタは純粋舞踊,アビナヤは表示的な動作による舞踊である。ヌリッタでは身体の筋肉の動きを重要視せず,首,肩,ひじなどの関節を基点として動作が行われる。踊手は時間の経過を感じさせないようすばやく,彫刻のように一つのポーズから次のポーズへ移動する。空中高く舞い上がることや,大きな空間を動き回ることはない。ヌリッタに対応する音楽は,スバラsvara(ソルミ唱法)か,または意味のないシラブルが歌われ,ターラの規則に従っている。アビナヤは歌詞に対応する気分や物語などをハスタhastaという手指で作るさまざまな形と,表情(特に顔の表情)で表現し,目,眉,唇などは独立して動かす。芸術舞踊と民俗舞踊との区別の一つは,アビナヤを持つかどうかだと言われるほど,芸術舞踊の重要な要素である。

 インドの舞踊には,踊手が1人で物語の筋を演じ踊るもの(1人でいろいろな役になるもの)とそれぞれの役がらの踊手が登場する舞踊劇の形のものとがある。前者の代表的なものはバーラタ・ナティヤム,オリッシ,マニプリ,カタックなどで,後者はカタカリ,民俗舞踊劇のヤクシャガーナ,プルリア地方のチョウなどである。オリッシは,オリッサ地方の寺院に伝承されてきた舞踊で,バーラタ・ナティヤムと似た,女性のソロの舞踊である。インドの舞踊のうちで,最も早く前2世紀ころから寺院の彫刻にあらわれており,それは《ナーティヤ・シャーストラ》より古い。しかし,現在のオリッシは基本的にはその理論によっている。この舞踊の特徴は,重心を左右どちらかにかけることにより,左右不均衡な姿勢となる。この姿勢は女神の立像と同じであるが,他の舞踊では禁じられている。ヌリッタとアビナヤの両要素から構成され,アビナヤでは,ビシュヌ神の物語が多い。最近,新しいレパートリーが盛んに作られている。

 マニプリは北東部国境近くの山々に囲まれた地域,マニプル州の舞踊で,インド最古かつ最も新しい舞踊といわれ,現在ではビシュヌ信仰を最も強く反映した舞踊とされる。他の舞踊と比べると,歌詞やターラの拘束が少ない。マニプリは二つの様式から構成される。(1)ラースヤ(女性的)は,優美で流れるような動きが特徴で,基本姿勢は数字の8の字のような形とされ,ポーズからポーズへの鋭い移り変りはない。膝を閉じ,上体はまっすぐのびていても,硬直させないで,ややリラックスした状態である。これに対して,(2)タンダバ(男性的)は,軽快さ,活発さなどが特徴で,男性の踊りと,女性の踊手による幼年時代のクリシュナ神の踊りはこの様式である。マニプリにはヒンドゥー教の儀式的な舞踊,グループによる民俗舞踊などがあり,芸術舞踊と民俗舞踊の接点にあるとみなされている。インドでは古代の理論書に大きくよっているものを芸術舞踊とみなし,その理論にとらわれない様式を民俗舞踊とみなしているようである。マニプリのグループ舞踊が民俗舞踊だと言いきれないのは,《ナーティヤ・シャーストラ》に述べられてはいるが,他の舞踊にはみられないグループによる隊形の組方が存在しているからである。

 カタカリのような舞踊劇には,カルナータカ州南西部の民俗舞踊劇ヤクシャガーナYakśagānaがある。顔にはカタカリの踊手と類似したメーキャップをほどこし,冠をかぶる。演者はすべて男性で,旅回りをし,野外で演じられる。内容はヒンドゥー教の神話や叙事詩からとられている。演者は歌に合わせアビナヤ風に踊ったり,ヌリッタ風の踊りもあるが,大筋を決められた科白(せりふ)を即興的にしゃべり,科白劇と無言の舞踊劇との中間的存在である。

 北東インド,ベンガル州の西端とビハール州には三つのチョウchhauという舞踊がある。プルリア地方のチョウは,仮面をつけた男性の踊手による無言の舞踊劇である。跳躍や跳躍を伴った旋回が特徴的である。題材はヒンドゥー教神話や叙事詩からとられているが,器楽の演奏に合わせて踊られ,土着の要素も強く感じられる。セライケラのチョウは仮面をかぶった男性の踊手によるが,1人あるいは2人の舞踊である。物語性の強いものもあるが,器楽に合わせ,アビナヤはみられない。モユルバンジのチョウは仮面をつけない踊りである。このように性格の異なる三つの踊りが,なぜチョウと呼ばれるのかは不明である。また,チョウの語源にも諸説がある。インド各地には,そのほか,いわゆるフォークダンスといわれるジャンルに属するグループ舞踊があり,それぞれ,地域の特徴を備えている。

 20世紀初頭には,ラビンドラナート・タゴールやウダイ・シャンカル(1900-77)によって新しい舞踊の創作が行われた。創作舞踊は,ヌリッタやアビナヤの理論を離れた新しい形を目ざしたが,この創作理念を受け継ぐ舞踊家や演出家が少なく,2人の死後はあまり盛んではない。多くの弟子たちも,またもとのヌリッタ,アビナヤの理論に戻ってしまった。タゴールの創作舞踊はタゴール・ダンスとして今も続けられている。

 インドにおける舞踊の伝承は,単なる技術やレパートリーの伝承とはいえないものがある。取り扱われている主題はヒンドゥー文化の根底となる神話や叙事詩であり,舞踊の伝承は,文化そのものの伝承なのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「インド舞踊」の意味・わかりやすい解説

インド舞踊
いんどぶよう
indian dance

インドの舞踊というと一般には古典舞踊だけを取り上げる傾向があるが、実際インドに行ってみると、さまざまな舞踊があることがわかる。大きく分ければ、古典舞踊classical danceと、民俗舞踊country danceと、部族舞踊tribe danceの3種類である。

[市川 雅・國吉和子]

古典舞踊

インドの舞踊の起源は古く、世界最古のサンスクリット演劇論書『ナーティヤ・シャーストラ』には、舞踊の物語や理論、技術について詳しく書かれている。現在も残っている古典舞踊はおよそ次の五つに分類される。ケララ州周辺の「カタカリ」、オディシャ(オリッサ)州の「オディシ」、マニプル州の「マニプリ」、デリー周辺の「カタック」、チェンナイ(マドラス)周辺の「バーラタ・ナーティヤム」である。これらはインド最古の聖典『リグ・ベーダ』や二大民族叙事詩『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』などに題材をとっており、現在生きている人の肉体によって神話を顕現するというのが、古典舞踊のテーマである。かつて古典舞踊はすべて寺院に付属しており、寺院にはかならず特定の踊り場があったが、しだいに宗教と舞踊の関係が分離し、都会の劇場で上演されるようになってきている。テーマにもタゴールの詩などが登場するようになった。古典舞踊は舞踊の神シバや破壊の神カーリーに捧(ささ)げられることが多く、上演の際その神の紋章が舞台に掲げられる。おそらく、寺院で踊られていたことの痕跡(こんせき)であろう。

(1)カタカリ 男が演ずる演劇性の強いもので、ムードラ(手指の身ぶり)によって物語が展開される。

(2)オディシ 女1人で踊られるもので、上半身の動きが叙情的、官能的である。そのほとんどがクリシュナ神話を題材にとっている。

(3)マニプリ マニプリにもクリシュナ信仰があるが、18世紀までシバ信仰であったマニプル州の住民は、その後ビシュヌ信仰に変わった。マニプリは他の古典舞踊に比べて、東南アジア的な上半身の動きが優越している。

(4)カタック ヒンドゥー教的要素とイスラム教的要素が交じり合ったもので、上半身の動きはほとんどなく、手で語るムードラもほとんどみられない。ただ、足はもっとも激しく、やはりビシュヌ信仰がみられる。

(5)バーラタ・ナーティヤム 足の激しさと手の動きの調和がとれた女性舞踊手のソロ・ダンスで、もっとも魅力的な古典舞踊といえる。

[市川 雅・國吉和子]

民俗舞踊

ヒンドゥー教の民俗儀礼や祭式と結び付いて、季節の行事にあわせて踊られるもので、ベンガル州からオディシャ州にみられる「チョウ」などはその好例である。ビハール州セライケラのチョウは春の3日間にわたる祭りで行われ、あらゆるカーストを代表する13人の信徒によって演じられる。踊り手は仮面をつけて行列をつくり、シバ神が祀(まつ)られている寺院に参入する。女性の扮装(ふんそう)をした舞踊手によって聖杯が運ばれ安置される。これは、川の氾濫(はんらん)を守るシバ神への信仰が基礎となっている土俗的な祭りで、踊りはシバ神への犠牲として捧げられる。民俗舞踊はホーリ祭、バサンタ、パンチャミその他季節の祭りにはかならず行われる。

[市川 雅・國吉和子]

部族舞踊

インドで200を超えるカースト外部族の舞踊で、ヒンドゥー教にほとんど影響されず、土俗民間宗教の儀礼という形式をとった舞踊が多い。オディシャ州に住む民族コヤは大地母神を鎮魂するために踊る。女は鈴のついた杖(つえ)でリズムをとり、男たちは野牛の角(つの)を頭につけ、ドラムをたたきながら踊る、複雑な一種の渦巻状の踊りである。土着的宗教に密着したこうした舞踊がインドには数多い。

[市川 雅・國吉和子]

インド舞踊家

インド古典舞踊は、20世紀になって海外にも著名となり、ウダイ・シャンカールらが欧米その他に公演活動を行い、その独得の魅力を世界に広めた。以後、シャンタ・ラオShanta Rao(1930―2007)、ムリナリニ・サラバイMrinalini Sarabhai(1918―2016)、インドラニ・デビIndrani Devi、クリシュナン・ナイルKrishnan Nair、ソナル・マンシンSonal Mansingh(1944― )らの踊り手が続いている。

[市川 雅・國吉和子]

『宮尾慈良著『アジア舞踊の人類学――ダンス・フィールド・ノート』(1987・PARCO出版局)』『河野亮仙著『カタカリ万華鏡』(1988・平河出版社)』『ジェラルド・ジョナス著、田中祥子・山口順子訳『世界のダンス――民族の踊り、その歴史と文化』(2000・大修館書店)』『Kapila VatsyayanTraditional Indian Theatre ; Multiple Streams(1984, National Book Organization, New Delhi)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「インド舞踊」の意味・わかりやすい解説

インド舞踊
インドぶよう

インドの舞踊は本来,寺院専属のデーバダーシ (神への奉仕女性) によって伝えられてきた。古典舞踊は今日バーラタ・ナーティヤムカターカリカタックマニプリの4種である。これらをはじめ,芸術舞踊のほとんどはインド舞踊,演劇の聖典とされる『ナーティヤ・シャーストラ』の理論と技術に基づいている。インドの舞踊と演劇は密接に結びついて発達してきたが,演劇的筋をもつ舞踊劇をナーティヤ nāṭya,身体動態に意味をもたない純粋舞踊をヌリッタ nṛtta,これに歌を伴った舞踊をヌリティヤ nṛtyaという。また動きの上ではターンダバ tāndavaとラースヤ lāsyaの2つに分類される。ターンダバは男性的で激しく熱烈な踊りで,シバ神の踊りなどにみられ,ラースヤは対照的に女性的で優雅,静的な踊りをさし,ビシュヌ神の妃ラクシュミーの踊りなどが知られる。これらの理論にとらわれない民俗舞踊も数多く伝わり,各地で上演されている。

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