インド総督
いんどそうとく
Governor-General of India
イギリス統治下のインドの最高官職。東インド会社諸商館の管区長(知事)の職から発展したもので、1773年の規制法でベンガル総督が置かれ、1833年の特許法でインド総督と改称された。1858年にインドが国王直轄植民地となると、総督はインド副王を兼ね、総督としてイギリス領インドを統治し、副王として藩王諸国を統制した。1935年の統治法で、副王は国王代表と改称された。総督の下には参事会が置かれ「参事会における総督」にイギリス領インドの行政、司法、統帥の全権が集中された。1774~1947年の間のベンガル総督およびインド総督は33人を数えた。インド、パキスタンの独立(1947)後も、大統領制施行まではそれぞれに総督の職が存置された。
[高畠 稔]
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インド総督
インドそうとく
Governor-general of India
イギリスのインド植民地統治の最高官職。集権的な権限をもつにいたったのは,1773年ノースの規制法によりベンガル総督がおかれたことに始る。インドにおける最高機関を参事会による総督とし,マドラス,ボンベイの州知事はベンガル総督の支配下におかれた。 1833年インドにおける植民地統治の統轄権は一本化され,ベンガル総督はインド総督と改称し,総督が立法権と行政権を掌握した。 58年イギリス国王の直接統治が始ると,インド帝国における国王の代理として副王を兼ねたが,法的権限に変更はなかった。 1947年インド,パキスタン両国の独立以後も,憲法制定までインド総督,パキスタン総督がおかれていたが,実質的権限は消失していた。
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インド総督
インドそうとく
Governor General of India
旧イギリス領インド統治の最高官職
1773年のノースの規制法によってベンガル知事はベンガル総督と改称され,ボンベイ・マドラス管区をもその監督下に置いた。1784年ピットのインド法で権限が強化され,1833年の特許状法でベンガル総督をインド総督として,インド政府を置いた。1858年のインド大反乱(シパーヒー〈セポイ〉の反乱)後は,インド統治法によりインドは本国政府の直轄とされてインド省が設置され,インド総督はイギリス国王の代理人として副王も兼任した。1947年のインド独立後も,イギリスは56年までインド総督,パキスタン総督を置いた。
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インドそうとく【インド総督 Governor‐General of India】
旧イギリス領インドで最高の統治権限を有した官職。イギリス東インド会社がその所領を拡大しつつあったインドに総督の職が創設されたのは1774年,プラッシーの戦の17年後である。最初は〈ベンガルのフォート・ウィリアム総督Governor‐General of Fort William in Bengal〉と呼んだ。1834年からはインド総督となり,一時はベンガル州の知事を兼任した。最初の総督はウォレン・ヘースティングズである。
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世界大百科事典内のインド総督の言及
【インド省】より
…彼らはだいたいが長い経験をつんだベテラン政治家で,就任までとくにインドと関係をもっていたのではない。彼らがなんらかの政策を実施しようとする場合に問題となるのは,一方で首相や議会の支持をえられるかどうかであり,他方でインド政府,とくにその長であるインド総督との調整をいかに行うかということであった。多くの摩擦や衝突が起こっているが,だいたいはイギリスのインド統治にまつわるエピソードにすぎない。…
【インド帝国】より
…その後イギリスの領土拡張の時代になったが,インドはイギリス帝国の中で常に一つの独自な構成部分とみなされ,自治領や他の植民地とは区別されていた。イギリスはインドをインド大臣からインド総督へというラインを通じて統治したが,インドにおける中央政府の性格は,独立前年の1946年の暫定政府の誕生までは専制的というに近いものであった。1869年にスエズ運河が開通してからは,イギリスはスエズを通るインドへの交通路を他の列強から確保するためエジプトをはじめとする周辺地域の征服に力を入れた。…
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