イスマーイール(読み)いすまーいーる

世界大百科事典(旧版)内のイスマーイールの言及

【イスマーイール派】より

…イスラムの十二イマーム派の分派で過激シーア派。シーア派第6代イマーム,ジャーファル・アッサーディクJa‘far al‐Ṣādiq(699ころ‐765)は長子イスマーイールIsmā‘īl(?‐760)を後継イマームに任命したが,飲酒などの悪癖があったため任命を取り消して弟のムーサーMūsā al‐Kāẓim(745ころ‐799)を任命した。長子は父の存命中760年に没したが,任命取消しを認めない一部の者たちは,イスマーイールこそ第7代イマームであり,最後のイマームであると主張し七イマーム派と呼ばれた。…

【回回砲】より

…中国,元朝時代,ペルシア人の技術者によって作られた大型の投石機。当時イスラム文化圏では,投石機の製造技術は世界最高の水準にあり,それを知った世祖フビライ・ハーンがイル・ハーン国より,アラー・アッディーン,イスマーイールなどの著名な技術者を招き製造にあたらせた。数百kgもの石や爆発物をはねとばすこの新兵器は,とくに1274年(咸淳10)の南宋の襄陽,樊城に対する攻城戦で,絶大な威力を発揮した。…

【サーマーン朝】より

…以後歴代のアミールはシル・ダリヤを境に遊牧トルコ人の侵入を阻止し,遊牧地帯にジハード(聖戦)を敢行するかたわら,国境地帯に奴隷市場を設けて多くのトルコ人奴隷を獲得し,それらを西アジアに供給した。900年,イスマーイールIsmā‘īl(在位892‐907)の時代にサッファール朝を破ってホラーサーンの支配権をも獲得,首都ブハラは新たに興ったイラン・イスラム文化の中心地となり,ブハーリー,イブン・シーナー,ルーダキーなどの天才を輩出した。しかしトルコ人奴隷の台頭など内部抗争のうちに999年カラ・ハーン朝によって滅ぼされた。…

【メクネス】より

…中部アトラス山脈北麓の交通の要所にあり,11世紀ムラービト朝のとき城郭都市として建設された。17世紀アラウィー朝のイスマーイールMawlāy Ismā‘īlが首都とし,豪壮な王宮を建て,モロッコのベルサイユと呼ばれた。王宮のほかモスク,城壁,城門があり観光客が訪れる。…

※「イスマーイール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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