イスマーイール(1世)(読み)いすまーいーる(英語表記)Ismā‘īl Ⅰ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イスマーイール(1世)」の意味・わかりやすい解説

イスマーイール(1世)
いすまーいーる
Ismā‘īl Ⅰ
(1487―1524)

イランのサファビー朝の始祖在位1501~24)。イラン北西部、カスピ海近くのアルダビール本拠を置くサファビー・スーフィー教団教主の家に生まれた。教団の信徒であるトルコマン9部族の武力によって白羊朝(1378~1508)からアゼルバイジャンを奪い、タブリーズで即位した。イラン風の王号シャーをとるとともに、十二イマーム・シーア派国教とし、国内のスンニー派の勢力を弾圧した。この宗教政策はイラン国民意識の醸成に役だったが、スンニー派を奉ずるオスマン・トルコやウズベク人のイラン侵攻の口実ともなった。1514年、オスマン・トルコのセリム1世とタブリーズ北西方のチャールデラーンで戦って敗れ、失意のうちに世を去った。

[羽田亨一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「イスマーイール(1世)」の解説

イスマーイール(1世)
Ismā‘īlⅠ

1487〜1524
イランのサファヴィー朝の始祖(在位1502〜24)
アゼルバイジャン地方のシーア派系神秘主義教団(サファヴィー教団)の教主。ササン朝の滅亡後,つねに異民族の支配下にあったイラン民族の独立を1501年に達成。タブリーズを首都とし,シーア派をイランの国教に定め,称号もイラン風のシャーを採用した。なお,スンナ派のオスマン帝国と争って破れ,西部を失った。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android