イサベル2世(読み)イサベルにせい(英語表記)Isabel II María Luisa

改訂新版 世界大百科事典 「イサベル2世」の意味・わかりやすい解説

イサベル[2世]
Isabel II
生没年:1830-1904

スペイン女王在位1833-68年。母后マリア・クリスティナ摂政として,3歳で即位したが,王位継承を無効とする勢力との戦いがその後6年間も続いた(カルリスタ戦争)。この王位継承の正統性をめぐる問題は,在位中常に国内不安をあおる一要因であった。1843年からは親政となり,46年には従兄のフランシスコ・アシスと結婚した。穏健党(1833-40,44-54)と進歩党(1854-56)の政権担当期間には,暴動プロヌンシアミエント(クーデタ宣言)が多発し,憲法が4度も書きかえられた。そのため,エスパルテロ,ナルバエス,オドンネルらの軍人が政治に介入したのも,イサベル2世時代の特色である。また,1833年以降自由主義国家の形態を整えていったスペインでは,ブルジョア階級の台頭が著しく,36年には永代所有財産解放令Desamortización(1855年にも実施)が布告された。この法令のため永代所有財産を失ったカトリック教会との間に亀裂が生じたが,バチカンとのコンコルダート和親条約,1851)によって関係が改善された。このように政治的には不安定で,外交面でもつまずきがあったが,経済工業化開始により発展したといえる。しかし,在位末期には政権が王室内の派閥に左右され,女王の私生活でのスキャンダルが暴露されると,女王への国民の信任は失われていった。68年の革命のため,女王はフランスへ亡命,長男のアルフォンソ(12世)へ王位を譲った。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イサベル2世」の意味・わかりやすい解説

イサベル2世
イサベルにせい
Isabel II María Luisa

[生]1830.10.10. マドリード
[没]1904.4.9. パリ
スペイン女王 (在位 1833~68) 。フェルナンド7世の娘。3歳で即位,母后マリア・クリスティナが摂政となる。フェルナンド7世の弟ドン・カルロス (1788~1855) が王位相続権を主張してカルリスタ戦争となる (33~39) が,摂政クリスティナを自由主義者たちが支持して内乱をしずめた。この間に,1837年憲法が制定され,人民主権,直接選挙などが定められた。その後,クリスティナは追われてフランスに亡命,内乱鎮定の功のあった B.エスパルテロが 41年に摂政となったが,43年 P.ナルバエスがエスパルテロに代り軍事的独裁権をとった。この年,女王は成年宣言をした。いとこのブルボン家のフランシスコ・デ・アシスと結婚した (46.10.10.) が,これはイギリス,フランスの反対を受けた。その治世は政変と陰謀の連続であり,政治は保守的であった。この反動政治に対抗して起った革命 (68.9.) の前にイサベルはフランスに亡命。第一共和制ののち,息子のアルフォンソ 12世が 74年ブルボン朝を復活した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「イサベル2世」の解説

イサベル2世(イサベルにせい)
Isabel Ⅱ

1830~1904(在位1833~68)

スペイン女王。フェルナンド7世の娘。母マリア・クリスティナの摂政のもとに3歳で即位したが,王位継承の正当性をめぐって第1次カルリスタ戦争が生じた。1843年から親政を開始。その治世には,自由主義改革が進展し,工業化も進んだが,イサベル自身は保守派と進歩派の間を揺れ動き,68年の九月革命で退位,亡命した。

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367日誕生日大事典 「イサベル2世」の解説

イサベル2世

生年月日:1830年10月10日
スペインの女王(在位1833〜68)
1904年没

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世界大百科事典(旧版)内のイサベル2世の言及

【スペイン】より

…外交面では,ユトレヒト条約によりピレネー山脈のかなたに追いやられたスペインは,政策の舵を中南米へ向けざるをえず,〈新植民地化政策〉と呼ばれる新たな富の模索を開始した。しかし,イタリアのパルマ家出身イサベル・ファルネシオ(第2番目の妻)との結婚によってフェリペ5世はイタリア情勢を無視できず,スペインはヨーロッパの政争に再び関与していかざるをえなくなった。スペインの近代化の第一歩を印したフェリペ5世の統治について,忘れてならないのは,外交面で多大な影響力をもっていたイタリア人司祭アルベローニJulio Alberoni(1664‐1752)をはじめ,財政再建や陸・海軍の改革に功績を残したJ.パティニョエンセナダ侯爵など有能な側近の存在である。…

【ナルバエス】より

…48年革命のスペインへの波及を恐れ,急進的な自由主義改革の停止とブルジョア支配層の固定化をはかった。一方では財政改革,鉄道事業など上からの近代化による権威主義的政策を展開し,オドンネル将軍とともにイサベル2世時代の支柱となった。68年,その死によって反動的独裁が終わり,共和革命が成功した。…

【マリア・クリスティナ】より

…両シチリア王フランチェスコ1世の娘。1833年王の死後,3歳の娘イサベルを王位に就け(イサベル2世),摂政に就任。その際,王弟カルロスが王位継承を要求し,第1次カルリスタ戦争が勃発すると,自由主義勢力の支援を受け対抗した。…

※「イサベル2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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