現代外国人名録2016 「イギー ポップ」の解説
イギー ポップ
Iggy Pop
- 職業・肩書
- ロック歌手
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1947年4月21日
- 出生地
- ミシガン州ムスケゴン
- 本名
- オスターバーク,ジェームス・ニューウェル〈Osterberg,James Newell〉
- グループ名
- 旧グループ名=ストゥージス〈The Stooges〉
- 学歴
- ミシガン大学中退
- 経歴
- デトロイト近郊のアン・アーバーで育つ。高校時代からバンドを始め、当初はドラマーとして活動。1967年ストゥージス結成。ジム・モリソンのライブ・パフォーマンスに影響され、ボーカリストに転向。ナイフで自らを傷つけたり、割れたガラスの上を転がるなど自虐的なステージパフォーマンスで話題を集め、’69年アルバム「ザ・ストゥージス」でデビュー。’70年「ファンハウス」、’73年「ロー・パワー」と2枚のアルバムを発表し、高い評価を得るが、ドラッグとエスカレートする破壊的なパフォーマンスが災いし、’74年バンド解散、同年リハビリのため入院した。’77年以前より親交のあったデビッド・ボウイのプロデュースで、初ソロアルバム「ザ・イデオット」を発表。これを機に、それまでの暴力的なイメージを払拭。ボウイのサポートで3枚のアルバムを製作後、’78年レコード会社を移籍。折からのパンク・ブームの中、ストゥージーズ時代のステージパフォーマンスがセックス・ピストルズに影響を与えるなど“先駆者”として再認識され、“パンクのゴッド・ファーザー”の異名をとるが、自身の作品の商業的に成功には結びつかなかった。’83年初来日。’86年A&Mと契約を結び、ボウイのバック・アップでアルバム「ブラー・ブラー・ブラー」をリリース。以後、他ミュージシャンとの交流、映画出演など多方面で意欲的な活動を展開、’96年映画「トレイン・スポッティング」で音楽が使われた。ザ・ストゥージーズを再結成して活動、2007年「ザ・ワイアードネス」を発表。同年来日し、フジ・ロック・フェスティバルに参加した。他の作品に「ラスト・フォー・ライフ」(1977年)、「ソルジャー」(’80年)、「アヴェニューB」(’99年)、「スカル・リング」(2003年)、「プレリミネール」(2009年)、「アプレ」(2012年)などがある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報