イギリス帝国会議(読み)いぎりすていこくかいぎ(英語表記)Imperial Conference

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イギリス帝国会議」の意味・わかりやすい解説

イギリス帝国会議
いぎりすていこくかいぎ
Imperial Conference

イギリス本国自治領との結束維持のための会議。1880年代に西欧列強国は競って植民地争奪戦に乗り出したが、すでに世界各地に植民地を領有していたイギリスは、ソールズベリー首相提唱により、植民地との紐帯(ちゅうたい)強化のため、1887年から定期的に植民地会議を開催した。議題帝国防衛、通信手段の開発、特恵関税設定などであった。1907年以後、この会議はイギリス帝国会議と称され、1947年にイギリス連邦会議と再度改称されるまで続いた。1926年の会議で、帝国内の自治領諸国の地位は本国と平等とされ、1931年のウェストミンスター憲章に規定された。また、1932年の会議で帝国内特恵関税制度が創設され、世界経済のブロック化を促す要因となった。同会議の決定は自治領諸国を拘束するものではないが、帝国内の利害調整機関としては重要な役割を果たした。

[石井摩耶子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イギリス帝国会議」の意味・わかりやすい解説

イギリス帝国会議
イギリスていこくかいぎ
Imperial Conference

イギリス本国と自治領諸国の首相,閣僚などで構成する会議。 1887年ロンドンで第1回会議を開いた植民地会議 Colonial Conferenceは,1907年の会議でイギリス帝国会議 (大英帝国会議) と改称され,11年にその第1回の会議が開かれた。 26年の会議ではイギリス連邦形成が論じられ,32年の会議では特恵関税制度の創設が決定された。帝国会議は 37年を最後としてその後開かれず,44年からは連邦首相会議がしばしば開かれるようになり,71年に連邦首脳会議 Commonwealth Heads of Government Conferenceと改称され,今日にいたっている。しかし連邦首脳会議は帝国会議のような決定は行わず,連邦諸国間の連絡,意見交換,調整の機関にすぎなくなった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「イギリス帝国会議」の解説

イギリス帝国会議
イギリスていこくかいぎ
Imperial Conference

イギリス本国と自治領および植民地間の協力のために開かれた会議
イギリスが帝国主義段階にはいり,自治領と本国の結合が強調されるようになった1887年に開かれた第1回イギリス植民地会議がその前身(以後1897・1902・1907年に開催)。帝国内共通の問題について相互理解を深めることを目的としていた。1907年の会議でイギリス帝国会議とし,以後1911・21・23年に開催。その後1926年の帝国会議においてウェストミンスター宣言を出して以後,会議名もイギリス連邦会議と改称された。現在はイギリス連邦首相会議として開かれている。

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