アーメダバード(読み)あーめだばーど(英語表記)Ahmedabad

翻訳|Ahmedabad

デジタル大辞泉 「アーメダバード」の意味・読み・例文・類語

アーメダバード(Ahmedabad)

インド西部、グジャラート州工業都市。15世紀初め、同地方を治めたスルターン、アフマド=シャー1世が建設した城塞都市に起源する。英国統治時代より綿織物工業が盛ん。1915年にガンジー南アフリカから帰国し、インド独立運動拠点を置いた。2017年、世界遺産文化遺産)に登録。アーマダバードアフマダーバード人口、行政区352万(2001)、都市圏453万(2001)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アーメダバード」の意味・わかりやすい解説

アーメダバード
Ahmadābād

インド西部,グジャラート州中東部の都市。アーメダバード県の行政庁所在地。ムンバイの北約 440kmに位置し,カンベイ湾に注ぐサバルマティ川に面する。グジャラート王国のスルタン,アフマド・シャーの時代の 1411年に建設されたが,1572年ムガル帝国に併合され,1818年イギリス領となった。1859~61年最初期の近代的紡績工場が稼働し,インド内陸部最大の工業都市に発展した。インド独立後の 1960~70年,グジャラート州州都。15世紀以来のイスラム建築ヒンドゥー教ジャイナ教の寺院,要塞などが残るサバルマティ川東岸一帯は,2017年国際連合教育科学文化機関 UNESCO世界遺産の文化遺産に登録された。西岸のサバルマティ地区にはマハトマガンジー創立のアシュラム(道場。→アーシュラマ)がある。グジャラート大学(1949)の本学,織物を集めたカリコ博物館などの教育機関,文化施設も多い。インド西部の鉄道の結節点で,国際空港がある。人口 557万7940,大都市圏 635万7693(2011)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アーメダバード」の意味・わかりやすい解説

アーメダバード
あーめだばーど
Ahmedabad

インド北西部、グジャラート州中部にある旧州都で綿工業都市。アーマダバードともいう。人口351万5361(2001)。カンベイ湾に注ぐ同州最大のサーバルマティ川の河口から約75キロメートル上流、グジャラート平原の中央に位置する。インド綿工業発達史上ムンバイ(ボンベイ)と並ぶ創業地で、19世紀後半にはインドのマンチェスターとよばれるまでに発達した。人口は全国第6位で、製造業に従事する者の比率が高い。

 1411年イスラム教徒のアーマド・シャー1世が城郭を築き、1573年にムガル帝国のアクバル帝に征服されるまで、グジャラート国の首都として栄えた。1753年、地方豪族のガーイクワール家はマラータ勢力と手を結んで反乱を起こし、ムガル帝国の支配を断ち切った。1818年にはマラータ勢力も衰退し、かわってイギリスの支配下に入った。1861年に地元民族資本による綿紡績工場が創業され、1864年ムンバイとの間に鉄道が開通すると、綿紡績工場の集積が急速に進み、1914年には49工場で約3万3000人の従業者を抱えるまでになった。こうした民族資本の興隆背景に、1915年南アフリカから帰国したマハトマ・ガンディーがこの地に反英独立運動の本拠を定めた。

 市内にはイスラム寺院や歴代王侯の墓所も多い。1432年の建立とされるジャマ・マスジッドは、東洋でもっとも華やかなモスクの一つといわれる。また、ガンディーにより創設されたアーメダバード大学も特異な存在である。ポルとよばれる一定の囲いをもつ珍しい集団住宅地があるが、これは工業労働者の急激な流入の結果、形成されたものである。

[中山修一]

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