アーマ(英語表記)Ayi Kwei Armah

改訂新版 世界大百科事典 「アーマ」の意味・わかりやすい解説

アーマ
Ayi Kwei Armah
生没年:1939-

ガーナの作家。独立運動の地盤をなした鉄道・港湾労働者の拠点都市タコラディの出身。1959年渡米,ハーバード大学で政治学,コロンビア大学で芸術学を修める。アルジェでの雑誌編集を経て64年帰国。批判意識の強さが報道界から敬遠され教職に就く。70年タンザニアに移住,レソトを経て79年にはアメリカへ移り,国外で文筆活動を続けている。《美しき者いまだ生まれず》(1968)は,首都アクラを舞台に,植民地構造の変革なき独立後の社会が呈した,組織と指導者の腐敗,奢る富者にへつらう貧者,人間的交感力の喪失などの病状を,汚物のシンボルを用いて克明に描いた衝撃の処女作。自伝的要素をもつ《砕片》(1970),《なぜに我ら,かくも祝福さる》(1972)に至る初期三部作は,物質欲にとりつかれた社会に孤立する良心の痛々しいまでに鋭敏な現状知覚を示した。厳しい自己認識をアフリカの尊厳回復の緒とする姿勢は,思想的にF.ファノンを継ぎ,南アの黒人意識運動に通じる。口承説話の形式による《二千の季節》(1973)は,社会の互酬性の喪失を内因とした分裂と奴隷化に至る1000年のアフリカ史像の中に,再生の道を説く老師に学び,破滅の道に反逆する若者たちの姿をよみがえらせた。アシャンティ王国末期の対英抵抗に活躍する技術者集団を描く《療術師たち》(1978)は,過去を視覚化しアフリカ社会の自己治癒に指針を与える歴史小説である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アーマ」の意味・わかりやすい解説

アーマ
Armah, Ayi Kwei

[生]1939. イギリス領ゴールドコースト,タコラディ
ガーナの小説家。英語で執筆。名門アチモタ・スクールで学んだのち,ガーナ放送局の脚本家リポーターアナウンサーなどを経験。18歳でアメリカ合衆国に渡り,ハーバード大学とコロンビア大学の大学院を修了。アフリカ各地での生活経験が豊富で,ダルエスサラーム大学など多数の大学で教えたほか,アメリカのマサチューセッツ大学やウィスコンシン大学でも教えた。代表作は,独立後のエンクルマ政権下のガーナ社会を背景に黒人エリートの腐敗を暴いた『美しき者,未だ生まれず』The Beautyful Ones Are Not Yet Born(1968)。ほかに自伝的要素をこめて独立後社会の混迷を描く『断片』Fragments(1970),『なぜ我らは,かくも祝福されるのか』Why Are We So Blest?(1972),アフリカの過去の再構築を試みた『二千の季節』Two Thousand Seasons(1973),19世紀後半の 1873~74年に起こった第2次アシャンティ戦争(→アシャンティ)を背景に世直し人たちの暗躍を描き,滅亡したアシャンティ王国の悲史を内側から問う歴史小説『ヒーラーたち』The Healers(1978)などがある。(→アフリカ文学

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百科事典マイペディア 「アーマ」の意味・わかりやすい解説

アーマ

ガーナの小説家。ハーバード大学に留学。テレビの脚本家,学校教師を経て,小説《美しき者,未だ生まれず》(1968年)を発表。エンクルマ時代の独立ガーナの腐蝕の構造にメスを入れた。《ニ千の季節》(1973年),《治療師たち》(1978年)では歴史小説の形で,現代を鋭く照射している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アーマ」の意味・わかりやすい解説

アーマ
あーま
Armagh

イギリス、北アイルランド南部の都市。ベルファストの南西62キロメートルに位置する。人口5万4263(2001)。5~9世紀にはアイルランドの首都であった。プロテスタント、カトリック両大聖堂があり、それぞれ大監督と大司教管区が置かれ、宗教上の中心都市である。人口の6割がカトリック教徒。リンネル製造が行われる。

[米田 巌]

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