アンドロポフ(読み)あんどろぽふ(英語表記)Юрий Владимирович Андропов/Yuriy Vladimirovich Andropov

精選版 日本国語大辞典 「アンドロポフ」の意味・読み・例文・類語

アンドロポフ

(Jurij Vladimirovič Andropov ユーリ=ウラディミロビチ━) ソ連政治家。一九六七年国家保安委員会議長就任。八二年一一月ブレジネフ死去をうけて書記長に就任、さらに八三年六月最高会議幹部会議長となりソ連の最高指導者となった。(一九一四‐八四

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デジタル大辞泉 「アンドロポフ」の意味・読み・例文・類語

アンドロポフ(Yurii Vladimirovich Andropov)

[1914~1984]ソ連の政治家。1967年、KGB(国家保安委員会)議長に就任。1982年には、ブレジネフの死去をうけて共産党書記長に就任、さらに1983年には最高会議幹部会議長に就任し、ソ連の最高指導者となった。

アンドロポフ(Andropov/Андропов)

ロシア連邦の都市リビンスク旧称

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンドロポフ」の意味・わかりやすい解説

アンドロポフ
あんどろぽふ
Юрий Владимирович Андропов/Yuriy Vladimirovich Andropov
(1914―1984)

ソ連の政治家。南ロシアのスタブロポリの鉄道員の家庭に生まれる。1936年水運技術専門学校を卒業。以後コムソモール(共産主義青年同盟)で活躍し、1939年共産党入党、1940年にはカレリアのコムソモール第一書記。独ソ戦が始まるとカレリアでパルチザン活動に入り、1944年にその首都ペトロザボーツクが解放されたのちは同市での党活動に移る。1947年にはカレリア党の第二書記、1951年には党中央に移り、その後1953~1957年にはハンガリー駐在。1956年のハンガリー動乱時には大使を務めていた。1957年から党中央委員会の社会主義諸国共産党・労働者党連絡部長となり、中ソ論争に深いかかわりをもつ。第22回党大会(1961)以降党中央委員、また1962年から書記局員(~1967)。1967年から国家保安委員会(KGB)議長で政治局員候補、1973年政治局員。1982年5月には書記局員も兼ねたためKGB議長は辞任。1982年11月、ブレジネフ書記長死去の後を受けて書記長に就任、1983年6月にはソ連最高会議幹部会議長を兼任したが、翌1984年2月9日死去した。

[藤本和貴夫]

『ジョレス・メドベージェフ著、毎日新聞社外信部訳『アンドロポフ』(1983・毎日新聞社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンドロポフ」の意味・わかりやすい解説

アンドロポフ
Andropov, Yurii Vladimirovich

[生]1914.6.15. ナグツカヤ
[没]1984.2.9. モスクワ
ソ連の政治家。水運技術学校卒業。 1939年共産党に入党。 54~57年ハンガリー駐在大使をつとめ,56年のハンガリー事件を体験した。のち党中央委員会の社会主義諸国党関係部長,中ソ会談代表を歴任。 67年党政治局員候補,国家保安委員会議長に就任。反体制派の弾圧サハロフ流刑などを実行した。 73年政治局員。 82年書記長に就任後,ブレジネフ時代に蓄積された停滞腐敗一掃,労働規律の強化に乗出した。就任半年後に病気になり十分な成果をあげられなかったが,その考えの一部はゴルバチョフに引継がれた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アンドロポフ」の解説

アンドロポフ
Yurii Vladimirovich Andropov

1914~84

ソ連の政治家。スターヴロポリ地方出身。カレリア共産党書記からハンガリー大使を務め,その後共産党中央委員会で働き党書記となった。1967年から国家保安委員会議長を務め,ブレジネフ死後に党書記長となり,改革への希望をかきたてたが急死

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旺文社世界史事典 三訂版 「アンドロポフ」の解説

アンドロポフ
Yurii Vladimirovich Andropov

1914〜84
旧ソ連共産党書記長(在任1982〜84)
ハンガリー動乱の際活躍し,1967年KGB(国家保安委員会)議長となる。1982年ブレジネフが死去すると,共産党書記長の地位を継ぎ,翌年には最高会議幹部会議長(元首)や国防会議議長を兼任した。1984年病死。

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百科事典マイペディア 「アンドロポフ」の意味・わかりやすい解説

アンドロポフ

ルイビンスク

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