アントネロ・ダ・メッシナ(英語表記)Antonello da Messina

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

アントネロ・ダ・メッシナ
Antonello da Messina

[生]1430頃.メッシナ
[没]1479.2.14以後.メッシナ
イタリア画家ナポリに出てコラントーニオのもとで画技を学んだ。その後ミラノにおもむき,1456年頃まで滞在。 57~74年はメッシナに帰って制作を続けているが,その頃シチリア訪問中の彫刻家ラウラーナに接して影響を受け,単純化された彫刻的モデリングを学んだとされる。 75~76年にかけてベネチア,ミラノにおもむき,ベネチアではサン・カッシアーノ聖堂のために『聖セバスティアヌス殉教』 (ドレスデン国立絵画館) を制作した。そこでは,フランドル絵画から取入れた輝くような明るい色彩,精緻なリアリズムに基づく新しい油彩の技法,そしてベネチアの邸館を舞台のように背景に配する大胆な構図で,当時のベネチア派を瞠目させた。その幾何学的構成による精緻な現実描写がベネチア派絵画に与えた影響力はきわめて大きい。そのほか,『書斎の聖ヒエロニムス』 (1460頃,ロンドン,ナショナル・ギャラリー) ,『救世主』 (65,同) ,『傭兵隊長の像』 (ルーブル美術館) などがある。彼は 79年2月 14日から 25日の間に没した。

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百科事典マイペディア の解説

アントネロ・ダ・メッシナ

イタリアの画家。シチリア島のメッシナの生れ。フランドル美術,特にファン・アイクの影響を受け,写実性の濃い祭壇画,肖像画を残す。また,フランドルの油絵技法をイタリアに広めるという重要な役割を果たした。代表作に現在では断片のみが伝えられる《サン・カッシアーノ祭壇画》(1475年―1476年,ウィーン美術史美術館蔵)や《傭兵隊長の肖像》(1475年,ルーブル美術館蔵)などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

アントネロ・ダ・メッシナ
あんとねろだめっしな

アントネッロ・ダ・メッシーナ

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