百科事典マイペディア の解説
アレクセイ・ミハイロビチ
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ロシア皇帝(在位1645~1676)。ロマノフ朝初代ミハイル帝の長男として誕生(3月19日)。治世の初め、重税を課したため、モスクワ(1648)など諸都市に一揆(いっき)が頻発した。それを機会に招集されたゼムスキー・ソボール(全国会議)において作成された「会議法典」(1649)のなかで、農奴制が法的に完成した。封建的搾取の強化の結果は、大規模なステンカ・ラージンの乱となった。工業活動を奨励し、商人を保護した。正教の分裂を招いたニコンの教会改革を利用して、教権に対する帝権の優位を確立した。積極的な対外政策をとり、ポーランド、スウェーデン、トルコと戦い、ウクライナを併合した。1676年1月29日に急死した。
[伊藤幸男]
血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新