アレクサンデル7世(読み)アレクサンデルななせい(英語表記)Alexander VII

改訂新版 世界大百科事典 「アレクサンデル7世」の意味・わかりやすい解説

アレクサンデル[7世]
Alexander Ⅶ
生没年:1599-1667

ローマ教皇在位1655-67年。シエナ出身で1626年ローマで聖職につき,一時マルタの異端審問官を務めた後,39年からケルン駐在教皇特使となり,ウェストファリア条約の締結調停に当たった。52年教皇庁の国務長官となる。教皇としては56年ヤンセンの5命題を有罪としてルイ14世のジャンセニスム弾圧を助けたが,イエズス会道徳神学の弛緩主義やフランス聖職者のガリカニスムに対しては批判的であった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アレクサンデル7世」の意味・わかりやすい解説

アレクサンデル7世
アレクサンデルななせい
Alexander VII

[生]1599.2.13. シエナ
[没]1667.5.22. ローマ
イタリア人の教皇 (在位 1655~67) 。本名 Fabio Chigi。ウェストファリア和議に参与。ヤンセニウス派と抗争 (→ジャンセニズム ) 。フランスとの対立により 1664年屈辱的なピサ条約締結。みずから詩人であると同時に学問芸術の保護者でもあり,G.L.ベルニーニを起用してサン=ピエトロ大聖堂前の広場を完成させた。

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367日誕生日大事典 「アレクサンデル7世」の解説

アレクサンデル7世

生年月日:1599年2月13日
教皇(在位1655〜67)
1667年没

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世界大百科事典(旧版)内のアレクサンデル7世の言及

【サン・ピエトロ広場】より

…バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂前にあって,約10万人を収容するといわれる大広場。教皇アレクサンデル7世の発案により,1656‐67年にベルニーニが建設した長円形の大歩廊(コロネード)で囲まれ,その短軸上に広場への入口と大聖堂正面への大階段,長軸上に二つの噴水が位置し,中央にオベリスクが立つ。旧聖堂脇にあったこの古代エジプトのオベリスクは,16世紀後半に技師ドメニコ・フォンタナが900人の職人と140頭の馬を使い4ヵ月かかって移設したもの。…

※「アレクサンデル7世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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