アルベルティ(英語表記)Leon Battista Alberti

精選版 日本国語大辞典 「アルベルティ」の意味・読み・例文・類語

アルベルティ

(Leon Battista Alberti レオン=バティスタ━) イタリア建築家、詩人、哲学者。近世建築様式の創始者。(一四〇四‐七三

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デジタル大辞泉 「アルベルティ」の意味・読み・例文・類語

アルベルティ(Leon Battista Alberti)

[1404~1472]イタリアの建築家。近世建築様式の創始者。詩人・哲学者・画家・音楽家としても有名。著に「家族論」「絵画論」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「アルベルティ」の意味・わかりやすい解説

アルベルティ
Leon Battista Alberti
生没年:1404-72

初期ルネサンスの代表的人文学者,建築家。ジェノバに亡命していたフィレンツェの名家に生まれ,パドバボローニャで古典学と教会法を学ぶ。アルベルティ家に対する追放令が解除された1428年フィレンツェに戻り,F.ブルネレスキの建築,ドナテロの彫刻,マサッチョの絵画に接して芸術理論への関心を深めた。32-64年教皇庁書記官を務め,博学万能の知識人として古典学,文法・修辞,詩学,倫理,教育論,美術・音楽理論,および古代の遺構の研究に裏付けられた建築,測量術などの分野できわだった功績を残した。彼は個人の能力とそれにもとづく行為を重視し,すべての人間は生来の才能を培うことによって得られる優れた資質,すなわち〈ビルトゥvirtù〉を市民社会のなかで十分に発揮すべきである,と主張した。都市は市民がビルトゥを形成し,行使する場と考えられ,芸術行為はその有効な一手段として,単なる技能ではなく,人文諸科学と同等の学問的基盤の上に位置づけられたが,これはルネサンスの芸術生産における注文主と芸術家双方の芸術理念の形成に大きな影響を及ぼした。著作には,視覚芸術の客観的表現方法である透視画法の理論とビルトゥの典型を表す歴史的人物画(イストリアistoria)の重要性を説く《絵画論》,家庭教育と人間形成,家族関係の根底としての愛情,家庭経済などを論じる《家族論》,教皇ニコラウス5世によるローマの都市整備計画の基礎資料として市内の記念建造物,市壁,テベレ川の位置を測定した《ローマの記録》など多いが,第一の代表作はラテン語による《建築論》(執筆1443-45,47-52)である。これはルネサンス時代最初の建築書であり,古代ローマのウィトルウィウス建築書にならって10書から構成され,内容は環境,材料,石工事,都市設備,建築各論,建築美と装飾,治水修復など広い範囲に及ぶ。彼はこのなかで,知的創造としての設計と実際の工事を区別し,前者において,5種のオーダーを基本とする古典様式と〈コンキニタスconcinnitas〉とよばれる均整原理に従うことによって建築美が保障されると考えた。しかし,一方で建築行為はビルトゥを視覚的に表現する手段として広い社会的視野から考察されているものの,建築美の要件である比例と調和に関する議論は,以後の造形理念に実際の設計から遊離した抽象的性格を与えるきっかけとなった。1430年代後半以降,中・北部イタリアの君主,名士の依頼で設計を行ったが,現場で工事を指揮することはなかった。その作品は,彼が賞賛したブルネレスキの建築とは対照的に,古代ローマ建築から直接導かれた重厚なモティーフと壁体の力感を基調とする。しかし明快な比例構成は,建築全体の空間的ひろがりのなかで適用されるというよりは,むしろその一部,とくにファサードの構成手法として活用されている。代表的建築作品に,ルチェライ邸,サンタ・マリア・ノベラ聖堂のファサード上半分(以上フィレンツェ),サン・フランチェスコ聖堂(リミニ),サン・セバスティアーノ聖堂,サンタンドレア聖堂(以上マントバ)がある。
執筆者:

アルベルティ
Rafael Alberti
生没年:1902-

スペインの詩人,劇作家。初め画家を志した。処女詩集《陸の船人》(1924)で国民文学賞受賞。アンダルシアの伝統的歌やゴンゴラの詩法,キュビスムやダダイズムなどの流れをくんだウルトライズムの前衛的手法を駆使するとともに,代表作《天使たち》(1927-28)ではシュルレアリスムに傾斜する。内戦前後には政治詩を書き,共産党に入党。内戦終了後,亡命しアルゼンチン,ローマと居を変えつつ,祖国への郷愁を託した詩を創作し,1977年に帰国した。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「アルベルティ」の意味・わかりやすい解説

アルベルティ

初期ルネサンス時代のイタリアの詩人,哲学者,建築家,画家,数学者。ジェノバに生まれ,パドバ,ボローニャで学ぶ。フィレンツェでブルネレスキドナテロを知り,またマサッチョの絵画に接し,自らも絵筆や鑿(のみ)を手にとった。また美術の理論を学び,《彫刻論》《絵画論》を著した。1452年ころ《建築論》を完成,ローマの建築家ウィトルウィウスの書物に想を得ながら,自分の作品や研究の成果を盛りこんだ。古典古代の影響を受けた建築家アルベルティの代表的作品としては,フィレンツェのルチェライ宮(パラッツォ・ルチェライ),サンタ・マリア・ノベラ聖堂のファサード,マントバのサンタンドレア聖堂など。
→関連項目ウィトルウィウス遠近法ロッセリーノ[兄弟]

アルベルティ

スペインの詩人,劇作家。画家を志したが,処女詩集《陸の舟乗り》(1925年)で詩作に入る。伝統的,民衆的要素を前衛的手法で処理することに優れた詩人。代表作《天使たち》(1929年)では,シュルレアリスム的傾向を示し,死,善といった抽象的概念の言葉による具現化を行った。政治的関心も強く,スペイン内乱前後は政治詩も書き,内戦終了後アルゼンチンへ亡命,母国への郷愁を基調とした作品を発表した。フランコの死後帰国。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルベルティ」の意味・わかりやすい解説

アルベルティ
Alberti, Leon Battista

[生]1404.2.14. ジェノバ
[没]1472.4.25. ローマ
イタリアの建築家,人文学者。芸術全般に通じ「万能の人」と形容された。追放中の裕福なフィレンツェ商人の庶子として出生。パドバとボローニャで法律,古典を学び,1428年頃フィレンツェに戻り,ルネサンス芸術運動の渦中に身を投じる。教皇庁の書記を務める間に『絵画論』Della pittura(1436)を著し,1440年代からマルクス・ウィトルウィウスの『建築十書』にならった『建築論』De re aedificatoriaの著述を始める。同書は都市計画を含む市民活動としての建築術,古典的オーダーの活用など後世に広い影響を与えた。建築ではフィレンツェのパラッツォ・ルチェライ(1445~70頃),サンタ・マリア・ノベラ聖堂のファサード(1456~70),リミニのテンピオ・マラテスティアーノ(1446~50頃),マントバのサン・セバスティアノ聖堂(1460~70),サンタンドレア聖堂(1470頃)などがある。

アルベルティ
Alberti, Domenico

[生]1710頃.ベネチア
[没]1740. ローマ
イタリアの作曲家。歌手およびチェンバロ奏者としても活躍。「アルベルティ・バス」として知られる分散和音による伴奏音型を多用したことで有名。この伴奏音型はゆるやかに推移する和声の上に旋律を浮べるのに適しているため,ハイドン,モーツァルト,ベートーベンらも用いた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アルベルティ」の解説

アルベルティ
Leon Battista Alberti

1404~72

ルネサンス期イタリアを代表する人文主義者,建築家。教皇庁に書記官として仕えた。ギリシア,ローマの古典を徹底的に学び,芸術理論書『絵画論』『彫刻論』『建築論』を著したほか,フィレンツェのルチェッライ宮殿,マントヴァのサン・タンドレア聖堂などを設計。『家族論』『魂の平安について』『テオゲニウス』『首長論』は,時代の先端と切り結ぶ市民道徳論。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「アルベルティ」の解説

アルベルティ

ヴェネツィア生まれの作曲家、歌手、チェンバロ奏者。自作のチェンバロソナタに分散和音を弾く伴奏音型を多用。その奏法が「アルベルティ・バス」と呼ばれるようになった。その後の古典期作曲家による鍵盤楽器用の作 ...続き

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世界大百科事典(旧版)内のアルベルティの言及

【イタリア美術】より

…一方,国際ゴシックの優美な形式主義は,フラ・アンジェリコ,ボッティチェリに受け継がれた。建築では,ブルネレスキが古代ローマ建築を研究して,パッツィ家の礼拝堂などに古典的比例を回復し,アルベルティはウィトルウィウスにならった〈十書〉構成の,ラテン語によるルネサンス最初の建築書を著した。彫刻ではドナテロが古代彫刻の比例とリアリズム,これにゴシックの精神を加えて偉大な先例をつくったが,ベロッキオは表面的な写実に堕したというべきであろう。…

【遠近法】より

…マサッチョ,ドナテロとそれに続くフィレンツェ画家の作品にその発展が見られる。アルベルティはこれを継ぎ,《絵画論》(1436ころ)で一点透視図法を〈正統なる手法〉と定め,ピエロ・デラ・フランチェスカ,パチョーリ,バルバロ,セルリオ,ダンティなど16世紀にいたるまでその理論と実践が続いた。16世紀初めにデューラーはアルプス以北に透視図法を伝えた。…

【オーダー】より

…これらの体系に関しては,前1世紀のウィトルウィウスの《建築十書》が唯一の典拠であるが,彼にあってはこれらはまだ,彼のあげる建築の要件の一つ〈オルディナティオordinatio〉とは直接に結びつけられておらず,その比例関係も固定的なものではなかった。これらを〈オーダー〉の名のもとに建築の最高の規範にまで高めたのは,L.B.アルベルティ以後のルネサンス建築家たちであった。アルベルティの《建築論》(1483)ではまだオーダーの名称はなく,またトスカナ式をドリス式と同一視して円柱を4種としているが,比例はより厳密に,ピタゴラス的な調和平均の比例体系によって,建物全体にゆきわたるものとして定められていた。…

【建築家】より

…ルネサンスとバロック時代の建築家は,画家・彫刻家出身の人物が多く,芸術的才能は神が授けてくれる天分と信じていたため,ウィトルウィウスが伝えたギリシアのアルキテクトンの概念が強くよみがえり,建築家は単なる職人や技術者とは異なる主導的芸術家であるとする思想が生まれ,現代にまで及んでいる。この考えを初めて具体化したのはL.B.アルベルティで,彼は劇作家,音楽家,画家,建築家,数学者,科学者,競技者を兼ね,しかも美学者,建築学者として《絵画論》や《建築論》10巻を著すといった〈万能の天才〉であり,多忙のためもあって,建築の設計のみを行い,建物の建造は他の建築家に任せるという設計者・施工者の分離をみずから行った。ルネサンスとバロック時代の建築はひじょうに美術的で趣向豊かなものであったから,建築家には各種の職人,美術家,工芸家を手配し,指図する能力が必要であった。…

【住居】より


[ルネサンスから近世――オテル,アパルトマンとテラス・ハウス]
 ルネサンス住宅建築の課題は,中世以来の左右非対称の平面構成を古典主義的な左右対称の壁面構成と両立させることであった。アルベルティはフィレンツェに建つパラッツォ・ルチェライPalazzo Rucellai(1446‐51)の正面壁面にローマのコロセウムに由来するオーダーとアーチの組合せのデザインを応用し,ルネサンス的な意匠をもつ都市邸宅の端緒を開いた。イギリスのスミッソンRobert Smythson(1535ころ‐1614)は,ホールを中心とする中世的な大邸宅に左右対称の壁面構成を与える試みを,ロングリート・ハウス(1568‐75ころ)等のカントリー・ハウスの設計を通じて行った。…

【素描】より

…これを完成作品の予備段階として芸術的に劣ったものとみるか,あるいは芸術家の精神により直接的にかかわるものとして重要視するかは,時代により個人によって多様である。
[素描と素描論の変遷]
 西欧ルネサンス期には,とくに素描の意義が重要視され,チェンニーニは,〈芸術の基本はディセーニョ(素描)と色彩にある〉と述べ,ギベルティは,〈素描は絵画と彫刻の基礎であり,理論である〉と述べ,L.B.アルベルティは,絵画の三要素は〈輪郭,構図,彩光(明暗)〉であるとし,この三要素のうちもっとも基本的なことは,〈空間と物体の境界〉としての〈線〉であるとした。これら初期ルネサンスの素描論の骨子は,空間と物体の明晰な認識とその表現の手段として,線による明確な輪郭づけが基本であるという考えである。…

【比例】より

… ルネサンスに入ると,再びウィトルウィウスを基礎とする比例理論が建築の中心課題となり,ここでもまたピタゴラスの理論が重要な手がかりとされたが,しかし人体的比例の堅持と,それに加えて透視図法的な,一定の視点からの三次元的比例が主たる関心事となった。L.B.アルベルティ,フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ,レオナルド・ダ・ビンチといった当時の代表的比例理論家たちは,音楽用語を用いて建築の比例を論じ,調和級数によって空間の奥行きの比例を決定しようとしていた。16世紀以降は,さらに新プラトン主義の影響による数の神秘主義が加わり,きわめて知的な古典主義的比例の体系が確立されていく。…

【マントバ】より

…ルネサンス期には,拮抗する三大勢力(ミラノ,ベネチア,教皇領)の緩衝地帯として政治上重要な地位を占め,また学芸擁護の中心地ともなった。ルイジ3世(在位1444‐78)はルネサンスを代表する英明君主で,都市を整備するとともに,建築家L.B.アルベルティを招請し,サン・セバスティアーノ聖堂,サンタンドレア聖堂の設計を委嘱。また,A.マンテーニャを宮廷画家として抱え,〈カメラ・デリ・スポージ〉に一族の生活を主題としたフレスコ画を描かせた。…

【ヌマンティアの戦】より

…この戦いは,スペイン人の愛国心を鼓舞するできごととして長く記憶され,セルバンテスも戯曲《ヌマンシア》を書いている。またR.アルベルティは内戦中にフランコ軍によって包囲されたマドリードを舞台にして同名の戯曲(初演1937)を書いた。【本村 凌二】。…

※「アルベルティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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