改訂新版 世界大百科事典 「アルプアルスラーン」の意味・わかりやすい解説
アルプ・アルスラーン
Alp Arslān
生没年:1029-72
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…セルジューク朝の進出がモンゴルの侵入とは異なり,大きな混乱・破壊を伴わなかったのは,すでにイスラムに改宗し,〈信仰の擁護者〉として出現したためである。次のアルプ・アルスラーンは,グルジア,シリアへ遠征し,71年には東アナトリアのマラーズギルドの戦でビザンティン軍を破った。第3代スルタン,マリク・シャーの時代が最盛期で,版図はシリア,ホラズムから,東はフェルガナ,南はペルシア湾にまで達し,イエメンやバフラインにまで遠征軍を派遣した。…
…東アナトリアのワン湖北岸より約50km内陸部の城塞都市マラーズギルドMalāzgird近傍で,1071年に,ビザンティン軍と,アルプ・アルスラーンが率いるセルジューク朝軍との間で行われた戦い。数の上では劣勢のセルジューク軍が,奴隷軍人(グラーム)の働きによって大勝利を収め,ビザンティン皇帝ロマノス4世自身も捕虜となった。…
※「アルプアルスラーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
1/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
12/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新