アルタン・ハーン(読み)アルタンハーン

百科事典マイペディア 「アルタン・ハーン」の意味・わかりやすい解説

アルタン・ハーン

明代モンゴルの君長。中国では阿勒坦汗,俺答汗と書く。しばしば明の北境に侵入,1550年には北京を囲む。1570年明朝と和し順義王の号を受ける。北西モンゴリアをも経略,青海を征服チベット出兵。1578年チベットからダライ・ラマを迎え,ラマ教チベット仏教)のモンゴリア移入に努めた。
→関連項目張居正

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アルタン・ハーン」の解説

アルタン・ハーン
Altan Khaan 俺荅汗

1508~82

モンゴルのトゥメト部の首長ダヤン・ハーンの第3子バルスボロトの第2子。明,オイラトを討って勢力を伸ばした。1570年,明と和して順義王の号を受け,78年,ダライラマ3世と会見してチベット仏教黄帽派(こうぼうは)(ゲルク派)に改宗した。

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