アラマン(英語表記)Lucas Alamán y Escalada

改訂新版 世界大百科事典 「アラマン」の意味・わかりやすい解説

アラマン
Lucas Alamán y Escalada
生没年:1792-1853

メキシコの政治家,歴史家。鉱物学を専攻した後,1814年にはスペインに渡りドイツ,フランスで専門分野を深めた。スペインではメキシコ鉱山業の衰退過程と原因に関する著作を出版。これは独立国メキシコの産業復興に大きな影響を与えた。さらにイギリスへ留学後は本国で農牧融資銀行を創設した。23年以降は内務外務大臣として国立文書館や博物館などを創立し,教育・文芸基盤を作り上げる一方,30年代にはアメリカ・メキシコ両国間の国境線の設定にあたり,執拗(しつよう)に国益を代弁し,アメリカへの対抗上ラテン・アメリカ諸国との友好関係を緊密化した。穏健主義に立脚した典型的な知識人で,《メキシコ共和国史論》(1844-49),《メキシコ史》(1849-52)には彼の君主制擁護論と保守主義を貫いた歴史観がうかがえる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアラマンの言及

【ゲルマン人】より

…やがて民族大移動期に展開する東ゲルマン諸部族のあの活発かつ遠距離への迅速な移動の可能性は,一つにはこうした歴史的背景があったせいである。逆にいうならば,その歴史的環境からみて,ゲルマンの故地からきわめて漸次かつ長期にわたって南西方へ移動した西ゲルマン諸族(フランクFranken,ザクセンSaxen,フリーゼンFriesen,アラマンAlamannen,バイエルンBayern,チューリンガーThüringerなど)には,ローマ文明との融合現象があり,北ゲルマン諸族(デーネンDänen,スウェーデンSchweden,ノルウェーNorwegerなど)には,古いゲルマン的伝統を保持する可能性が強かったということになる。民族大移動【増田 四郎】。…

【民族大移動】より

…その一つは,移動前,ゲルマニアの東部にいた東ゲルマン諸族,次はその西部にいた西ゲルマン諸族,そしていま一つは北方スカンジナビア半島やユトランド半島にいた北ゲルマン諸族である。東ゲルマンに属する部族としては,東ゴート,西ゴート,バンダルWandalen,ブルグントBurgunder,ランゴバルドLangobardenなどが数えられ,西ゲルマンでは,フランクFranken,ザクセンSachsen,フリーゼンFriesen,アラマンAlamannen,バイエルンBayern,チューリンガーThüringerなどが,また北ゲルマンでは,デーンDänen,スウェーデンSchweden(スベアSvear),ノルウェーNorwegerなどが挙げられる。このうち北ゲルマン諸族は,前2者よりやや遅れ,8世紀から11世紀にかけ,ノルマン人の名でイングランド,アイルランド,ノルマンディー,アイスランドならびに東方遠くキエフ・ロシアにまで移動し,それぞれの地に建国したため,通常これを第2の民族移動と称する。…

※「アラマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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