ドイツの物理学者。光学レンズ,光学機器の改良に貢献した。アイゼナハに生まれ,イェーナ大学,ゲッティンゲン大学で物理学を学ぶ。1863年イェーナ大学の私講師として数学,物理学,天文学の講義を担当,78年イェーナ大学教授となり天文台長,気象台長を兼務する。この間,1866年に光学器械製造業者のC.ツァイスと知り合い,ツァイス光学会社の顧問となり光学研究に取り組んだ。光学器械の中でも,顕微鏡の改良が当時の重要課題であり,アッベの理論的研究は,大きくそれに貢献した。73年レンズの分解能の研究から結像理論をたて,光軸近くの像が収差を生じないための正弦条件を導いた。理論研究のみならず,ツァイスおよびショットOtto Schott(1851-1935)と共同で光学ガラスの改良に取り組み,色消しレンズを開発,さらにツァイスとともに顕微鏡の照明装置,液浸式顕微鏡など光学機器に関する数多くの発明,改良を行ってツァイス光学会社の世界的地位を築いた。88年ツァイスの死後,同社の経営を受け継ぎ,企業家としても活躍した。
執筆者:奥山 修平
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…こうした状況下,C.ツァイス(1816‐88)によって1846年,イェーナにつくられた顕微鏡製作所がカール・ツァイス社の始まりである。66年,ツァイスはイェーナ大学の数学・物理学講師E.アッベを招いた。アッベは72年に光学計算による世界初の顕微鏡を完成するなど同社の技術水準を飛躍的に高めた。…
※「アッベ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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