アチャン(阿昌)族(読み)アチャンぞく(英語表記)Achang

改訂新版 世界大百科事典 「アチャン(阿昌)族」の意味・わかりやすい解説

アチャン(阿昌)族 (アチャンぞく)
Āchāng zú

中国のミャンマー国境に近い山地に居住する少数民族。人口約2万7800(1990)。雲南省徳宏タイ族チンポー(景頗)族自治州の隴川(ろうせん),梁河県などに分布する。言語はシナ・チベット語系チベット・ビルマ語族に属し,梁河と盧撒の両方言がある。長い間,漢族やタイ族と接して居住してきたため,アチャン族は一般に漢語,タイ語に通暁し,漢文も使用する。とくに平地のタイ族との日常生活での交流はいちじるしい。早くから雲南北西の金沙江,瀾滄江,怒江流域に居住し,漸次南下移動を行い,13世紀には現在の隴川,梁河地方の山間部や山岳地帯に定住していた。酸味のあるものを好み,主食の陸稲水稲を栽培するが,その生産性はあまり高くなく,鍛冶捺染(なつせん),木工,竹細工などの手工業が発達する。なかでも独特な手法による刀鍛冶は,諸民族の間で有名である。社会は一夫一妻の父系小家族を基本とし,末子相続である。小乗仏教を信仰し,土葬を行う。習俗祭日は隣接して居住するタイ族の影響が強いが,各祭日には重要な娯楽として歌や踊りが好まれる。とくに山に住む彼らの日常生活にはよく山歌や民歌などがかけあいで歌われる。農閑期や祭日には,青年男女が山歌をかけあう〈串姑娘〉の風俗がみられ,また長老をはじめ村民物事由来伝承をアチャン族の伝統的な舞踊に従って踊り歌う。彼らのもっとも伝統的歌舞を〈蹬窩羅〉という。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アチャン(阿昌)族」の意味・わかりやすい解説

アチャン(阿昌)族
アチャンぞく
Achang

中国領内,ミャンマーとの国境近くに居住する少数民族。人口約1万 8480 (1990) 。その 90%以上が雲南省徳宏のタイ族チワン (景頗) 族自治州に住む。言語はシナ=チベット語族に属する。 13世紀頃この地に定着したとされ,元・明代以後の諸文献では「峨昌」「俄昌」と称されている。長らく漢族,タイ族と隣接して居住してきたため,漢字を使用し,漢語,タイ語に通じている。中華人民共和国の成立以前はタイ族土侯の統治下にあった。陸稲,水稲耕作などの農業に従事し,主食は米,トウモロコシ,サツマイモなど。鍛冶や木工,竹細工などの手先仕事にたけ,とりわけ刀剣の製作で知られる。社会の基本単位は父系の小家族で,末子相続が一般的である。農閑期や祭日には,青年男女が山歌を対唱し,村人が神話・口頭伝承をうたい,踊るという習俗が残る。上座部仏教を信仰し,土葬の習慣をもつ。

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百科事典マイペディア 「アチャン(阿昌)族」の意味・わかりやすい解説

アチャン(阿昌)族【アチャンぞく】

中国,雲南省西部の徳宏タイ族チンポー族自治州の山岳地帯を中心に居住する民族。〈アチャン〉は自称の一つ。言語はイ語派。1964年の国勢調査で中国少数民族として公認された。かつてタイ族や漢族の佃農として貧困の境遇に置かれた。〈アチャン刀〉と呼ばれる刃物・農具類の鍛造技術で知られ,解放後には鉄工業が発展するようになった。約2万7000人(1990)。

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