アターシー(読み)あたーしー(英語表記)Hāshim al-Atāssī

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アターシー」の意味・わかりやすい解説

アターシー
あたーしー
Hāshim al-Atāssī
(1875―1960)

シリアの政治家。ホムスに生まれる。ホムス、イスタンブールで教育を受け、1897年オスマン・トルコ帝国の地方官となった。1920年アラブの民族主義者が結成したシリア会議の議長となる。1920年5月ダマスカスに誕生したファイサル国王政府の首相となった。1928年議員に当選。フランス委任統治期には民族主義政党ナショナル・ブロックのリーダーの一人として独立運動を率先した。1936年フランス・シリア条約のシリア側代表団の団長。1936~1939年大統領、1949年8月サーミー・ヒンナーウィのクーデター後に首相、1949年12月アディーブ・シシャクリーのクーデター後に大統領となるが、1951年に辞任。1954年軍事政権崩壊後に大統領に復帰、1955年に辞任。

木村喜博]

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改訂新版 世界大百科事典 「アターシー」の意味・わかりやすい解説

アターシー
Hāshim al-Atāsī
生没年:1875-1960

シリアの政治家。ホムスに生まれる。イスタンブールで教育を受け,1897年オスマン帝国下の郡の統治者となる。1920年民族主義者によって結成された〈シリア会議〉の議長に選出され,同年5月ダマスクスにおけるファイサル政体の首相。フランス委任統治時代はナショナル・ブロックのリーダーとして独立運動に率先従事し,36年フランス・シリア同盟条約のシリア側代表団の団長,36-39年大統領となる。49年8月のヒンナーウィーSāmī Ḥinnāwī(1898-1950)のクーデタ後首相,同年12月シシャクリーAdīb Shishaklī(1909-64)のクーデタ後大統領に就任するが,軍事独裁化に反対し51年辞任。54年軍事政権崩壊後,再び大統領に復帰,55年辞任した。
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世界大百科事典(旧版)内のアターシーの言及

【シリア】より

…1925年のドルーズ派の反乱を契機に,シリアの民族主義者たちはフランスから名目的独立を獲得した。28年,憲法制定の準備が開始され,アターシーら名望家,富裕者など伝統的な支配者の集団であるナショナル・ブロックが結成された。このブロックは,おもにアレッポやダマスクスのスンナ派イスラム教徒から構成され,30年代には,北西部のアラウィー自治政体と南のドルーズ自治政体とを含めた独立シリア国家体制の樹立を目標として掲げた。…

※「アターシー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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