アスワン・ハイダム(読み)アスワンハイダム(英語表記)Aswan High Dam

百科事典マイペディア 「アスワン・ハイダム」の意味・わかりやすい解説

アスワン・ハイダム

エジプトナイル川アスワン・ダム上流7kmにあるダム。計画当初は米国,英国世界銀行が援助するはずだったが,ナーセル大統領の対外政策に反対する両国はこれを破棄。ナーセルはスエズ運河国有化で応えた(スエズ動乱)。結局ソ連からの借款と技術援助で,1960年着工。第1期工事は1964年5月完了。第2期工事はアブ・シンベル神殿などの移転作業のため進行が遅れていたが,1970年6月完成した。堤高111m,堤長3600m,堤体積4300万m3,貯水量1570億m3ロックフィルダムで,堤頂は幅40mの道路である。人造湖(ナーセル湖)は長さ約500km,幅(平均)10km。灌漑(かんがい),発電(年間発電電力量100億kWh)に利用。
→関連項目アスワン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アスワン・ハイダム」の意味・わかりやすい解説

アスワン・ハイダム
Aswan High Dam

エジプトのカイロ南方約 400km,既存のアスワン・ダムの上流 7kmの地点に建設されたロックフィル方式のダム。 1952年の革命後,ナイル川の氾濫を防御し,大量の灌漑用水を確保して農耕地をふやし,大規模な電力を起して工業化を進める目的でナセル大統領が建設を計画した。当初は世界銀行,アメリカ,イギリスからの資金・技術援助で建設する予定だったが,56年にアメリカが援助を撤回,これに対しナセルはスエズ運河国有化に踏切って,スエズ動乱 (第2次中東戦争) へと発展した。その後,ソ連からの資金・技術援助により 60年に着工,70年に完成した。これにより約1万 km2の土地への灌漑用水と年間 100億 kWhの電力が利用可能となったが,半面,ダム建設前には洪水により自然に淘汰されていた動植物の生態系に異常がみられるなど,環境への悪影響も起った。また古代遺跡の多くが水没することとなり,エジプト新王国時代のアブシンベル神殿などその一部を保存するための大がかりな移転工事も行われた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アスワン・ハイダム」の解説

アスワン・ハイダム
Aswan High Dam

ナセル期のエジプトが挑んだ最大の国家プロジェクト。1954年に建設が決定されたが,ナセルのソ連接近を嫌った英米両国が建設資金を引き揚げ,世界銀行にも出資を中止させたため,ナセルは必要資金を確保すべくスエズ運河国有化を断行した。この結果,第2次中東戦争が勃発する。戦後の58年ソ連が資金供与に合意し,70年公式に開業。

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