アジア−アフリカ人民連帯会議(読み)アジア−アフリカじんみんれんたいかいぎ(英語表記)Afro-Asian People's Solidarity Conference

旺文社世界史事典 三訂版 の解説

アジア−アフリカ人民連帯会議
アジア−アフリカじんみんれんたいかいぎ
Afro-Asian People's Solidarity Conference

1957年アジア,アフリカの45か国がカイロで開いた会議
1955年のバンドン十原則を確認,カイロ宣言を発表した。1960年代以降はアジアからアフリカに中心が移り,第2回はギニアコナクリで開かれ反植民地主義を明確にし,第3回はタンガニーカモシで開かれた。このときキューバカストロの影響で運動がラテンアメリカにも拡大されていくこととなった。第4回はガーナのウィンネバで開かれたが,このころ米軍がヴェトナムに対する介入を強めていたことから,反帝国主義の性格がより強められ,また第3回の決議を実現するため1966年にハバナでアジア−アフリカ−ラテンアメリカ人民会議を開くことを決定した。第5回は1967年に北京で開かれる予定であったが,中ソ対立の激化により中止となった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

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