アサガオ(読み)あさがお(英語表記)morning glory

翻訳|morning glory

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アサガオ」の意味・わかりやすい解説

アサガオ
あさがお / 朝顔
morning glory
[学] Ipomoea nil (L.) Roth
Pharbitis nil Chois.

ヒルガオ科(APG分類:ヒルガオ科)の不耐冬性一年草。広い意味でアサガオというと、熱帯アジア原産のニホンアサガオと、熱帯アメリカ原産のアメリカアサガオI. hederacea (L.) Jacq.(P. hederacea Chois.)(またはセイヨウアサガオ)とに分けられ、多くはつる性である。

[鶴島久男・湯浅浩史・岩佐亮二 2021年6月21日]

渡来

中国の『名医別録』(4世紀ころ)に、漢名の牽牛(けんご)は、アサガオとウシが取引されたという故事に由来するとある。その種子「牽牛子(けんごし)」は古くから薬用とされ(これをユリとする説もある)、日本への伝来も薬用からで、『延喜式(えんぎしき)』に牽牛子の名があがっている。アサガオの花は『万葉集』に5首詠まれているが、それはキキョウとする説が有力である。山上憶良(やまのうえのおくら)は「秋の野に咲きたる花を指(および)折り かき数(かぞ)ふれば七種(ななくさ)の花」と詠み、その後に「萩(はぎ)の花尾花葛花(をばなくずばな)なでしこが 花をみなへしまた藤袴朝顔(ふぢはかまあさがほ)が花」と詠んでいる。このアサガオにはムクゲ説もあるが、アサガオもムクゲも渡来植物で、秋の野に咲く花ではない。万葉の時代にはアサガオはまだ観賞用ではなかったようである。

[鶴島久男・湯浅浩史・岩佐亮二 2021年6月21日]

アサガオの流行

観賞用として栽培するようになったのは平安時代と推察されるが、一般に広まりだしたのは江戸時代に入ってからである。江戸初期の園芸書である『花譜(かふ)』(1694、貝原益軒)や『広益地錦抄(こうえきちきんしょう)』(1719、伊藤伊兵衛)には、色違いの品種もみられるが花色数はまだわずかであった。渡来当初のアサガオは青色であったと思われ、平安末期の『平家納経』や鎌倉時代の『掃墨(はいずみ)物語絵巻』には青花が描かれている。17世紀の『花壇綱目(かだんこうもく)』(1681、水野元勝)では、淡紫と白と浅葱(あさぎ)の3色が記録され、元禄(げんろく)時代(1688~1704)には赤色系が加わり、18世紀以降花色は爆発的に増えた。文化(ぶんか)年間(1804~1818)には現在みられない黄花が出現し、滝沢馬琴はその伝聞を『玄同放言(げんどうほうげん)』で書き、四時庵形影(しじあんけいえい)の『あさかほ叢(そう)』(1816)にも、極黄色にふれている。江戸中期になると、数十種の花色と実を結ばない重弁の品種が育成され、趣味家の間で栽培される園芸植物として急速に発達した。これらは変化アサガオの系統で、後期の文化・文政(ぶんせい)年間(1804~1830)と嘉永(かえい)年間(1848~1854)に大流行した。佐藤信淵(さとうのぶひろ)は『草木六部耕種法』に、その品種270余りに及ぶと書き残している。初回の流行は大坂が中心で、そのようすは『牽牛品類(けんごひんるい)図考』(1814、峰岸正吉)に奇品38品の彩色図と166品の記載、『花壇朝顔通』(1816、壺天堂(きてんどう)主人)に37品の彩色図、『牽牛花水鏡(あさがおみずかがみ)』(1818、秋水茶寮主人)に奇花47品と奇葉46品が記載されていることで知られる。2回目の流行期の嘉永年間には、江戸を中心に大坂、京都でも広く栽培された。大坂の穐叢園(しゅうそうえん)主人の『朝顔花併(はなあわせ)』(1853)には奇花41品の彩色図、江戸・入谷(いりや)の成田屋留次郎の『三都一朝(さんといっちょう)』(1854)には江戸、大坂、京都での供進会入選花86品の彩色図、幸良弼(こうりょうひつ)の『都鄙秋興(とひしゅうきょう)』(1857)には奇花123品の彩色図が記載されている。ちなみに現代に伝わる歳時「入谷の朝顔」は、成田屋を中心としたこの地の朝顔師に端を発した。

 その後変化アサガオは、明治35年ごろに嘉永をしのぐ流行をみせたが、この間に大輪アサガオの栽培が普及し、文化年間には直径が最高4寸(1寸は約3センチメートル)であったのが、明治以降大きさが競われるようになると7寸を超えるようなものも現れ、現在は尺(しゃく)咲きの時代になりつつある。こうしてニホンアサガオは、大輪花を観賞する大輪アサガオと、変化のある花形を観賞する変化アサガオの2大別に発達した。現在は大輪アサガオが一般的に栽培され、変化アサガオはごく限られた人々の間で消滅寸前の状態で栽培されているにすぎない。日本独自の園芸植物であるアサガオは、海外では品種も少ない。

[鶴島久男・湯浅浩史・岩佐亮二 2021年6月21日]

系統と品種

一般にアサガオといえばニホンアサガオをさす。花弁は合弁で、接合部の条(すじ)を曜(よう)といい、普通は5曜である。大輪花をつける品種には7曜、8曜のものもある。大輪系品種はうまく育てると花径20~25センチメートルになるものもある。花色は青、紫、濃紫、紅、桃、薄茶、白などがあり、単色のほか覆輪(ふくりん)または絞り模様のものもある。葉形も並性(なみしょう)、洲浜(すはま)性のほか、丸みをもった蝉葉(せみば)性やえびす葉性がある。また葉色も無地緑葉のほか、淡緑や黄色の斑(ふ)が入る斑入葉などがある。品種には、浜の春、紫獅子(じし)、暁(あけぼの)の光、相模(さがみ)の輝など多数ある。また最近では、つるが伸びない矮性(わいせい)のサンスマイルや、小輪花を多数つけるツバメアサガオなどの品種も栽培される。

 変化アサガオは花が小さいがきわめて変化に富んだ花形をもつ。しかし多くは種子を結ばないため、系統維持がむずかしい。変化アサガオの栽培は親となる系統の種子を播(ま)き、発芽した苗のなかから子葉(しよう)の形の変わった出物(でもの)と称する数本を選び、鉢取りして行う。しかし目的の花は咲くが種子は稔(みの)らないので、つねに親系統の種子を採種保存する必要がある。現在残っている代表的な咲き方には、花弁が細く糸のように裂け、その先に風鈴状の変化弁をつける獅子咲き、花弁が細く裂け筆先状になる菜(さい)咲き、花筒の中にもう一つ花が重なる台(だい)咲きなどがある。

 アメリカアサガオは明治時代に入ってから渡来したもので、つるや茎はサツマイモに近く、花は葉腋(ようえき)に房状につき、昼ころまで花はしおれない。開花は8月に入ってからで、つるは旺盛(おうせい)に育つ。品種にはソライロアサガオともよばれるヘブンリーブルー(空色)、スカーレットオハラ(濃桃色)などがある。

[鶴島久男・湯浅浩史・岩佐亮二 2021年6月21日]

遺伝

15対の染色体上に約250の遺伝子が存在する。並性(並葉)、青葉、一重咲き、丸咲き、青色花、無地花、筒白花、黒種子が顕性で、対応する潜性形質には、洲浜性、斑入葉、八重咲き、変化咲き、紫色花、赤色花、絞り咲き、縞(しま)咲き、筒赤、茶種子などがある。形質はしばしば相関し、大輪は子葉や葉が丸い洲浜性に咲き、子葉や葉が細い立田性や子葉の切れ込みが浅く、葉が深く切れる笹(ささ)性は変化咲きになる。茶種子からは斑入葉が出やすい。花色の遺伝は少なくとも9個の遺伝子が関与し複雑である。

[鶴島久男・湯浅浩史・岩佐亮二 2021年6月21日]

栽培

アサガオの種子は高温性で20℃くらいが発芽適温なので、戸外では5月上旬過ぎに播く。また種皮の硬い石種子(いしだね)なので一昼夜水に浸して播くか、ナイフなどで種皮に傷をつけ、吸水しやすくして播く。用土は荒木田4、川砂2、腐葉土4の割合の配合土がよい。5~6日で発芽し、子葉が完全に開いたら小鉢にとり、日に十分当てて育てる。土が乾き、葉がしおれるようになったら、たっぷり灌水(かんすい)する。肥料は油かすを腐らせた原液を水で20~30倍に薄め、10日置きぐらいに追肥として与える。鉢植えはその後5号鉢に植え替えるが、垣根やフェンスに絡ませるには小鉢の苗を目的の場所に植え付ける。

[鶴島久男・湯浅浩史・岩佐亮二 2021年6月21日]

仕立て方

鉢植えには1本のつるを伸ばして支柱に絡ませる「行灯(あんどん)仕立て」や「螺旋(らせん)仕立て」と、つるを伸ばさず鉢の上に大輪花を咲かせる「切り込み仕立て」とがある。行灯仕立ては、6号鉢に苗を定植し、篠竹(しのだけ)やプラスチック線で行灯状の支柱をつくり、親づるを下からこの支柱に絡ませる。最近は、鉢の中央に1本支柱を立て、これに太い針金を螺旋状に曲げたものを取り付け、これにつるを絡ませる方法もある。支柱に全部つるが巻き付いたら芯(しん)を止めると、下部の節から順次花が開く。切り込み仕立ては、本葉が7~8枚のとき、5枚を残して親づるを摘芯(てきしん)し、子づるを出させる。子づるは先の2本を残し株元のつるはかきとり、この子づるも本葉5枚を残して芯を止める。この摘芯を繰り返し、孫づるについたつぼみを同時に4輪前後開花させる。行灯仕立てに比べるとかなり手のかかる栽培である。

[鶴島久男・湯浅浩史・岩佐亮二 2021年6月21日]

観賞時間

ニホンアサガオはつぼみが午前1時ごろから開き、午前4時ごろに満開、9時ごろにはしぼむので、鉢植えにして早朝に観賞し、伝統的な朝顔市も朝早く開かれる。アメリカアサガオは正午ごろまでしおれず、房咲きで花数も多いので、垣根やトレリス(棚)などに絡ませて庭園用として観賞する。

[鶴島久男・湯浅浩史・岩佐亮二 2021年6月21日]

教材としての利用

アサガオは、種子が大きく、開花までの日数も短く、開花習性も短日性植物であること、また、花は容易に押し花などにできることなどから、小・中学校の教材として広く利用されている。種子の発芽から開花まで、鉢植えで観察するのにも適し、発芽の実験などにも向く。また、草丈が15センチメートルくらいのとき、夕方4時から翌朝8時ごろまで段ボール箱などで覆い、日長時間を8時間の短日条件に置くと、6月の長日条件下でも開花する。また、アメリカアサガオのスカーレットオハラは、オキシダントに敏感で、葉に被害を発生しやすく、大気汚染の指標植物として利用されている。

[鶴島久男・湯浅浩史・岩佐亮二 2021年6月21日]

薬用

種子を牽牛子(けんごし)といい、水に不溶性の樹脂ファルビチンを含有するので、漢方では粉末にして小腸性の峻下剤(しゅんげざい)として便秘、下半身の浮腫(ふしゅ)、尿閉症の治療に用いる。

 煎液(せんえき)には瀉下(しゃげ)(下痢)作用はなく、利尿作用だけを現す。アルコールエキスを水で洗い、水溶性成分を除いて樹脂だけにしたものをケンゴシ脂(インド名はカラダナ)といい、峻下剤に用いられる。

[長沢元夫 2021年6月21日]

文学とアサガオ

平安時代の文学に登場するアサガオは、ニホンアサガオと同じものと考えられ、早く『古今和歌集』の物名(もののな)の歌に「けにごし」として隠し詠まれていた。『後撰(ごせん)和歌集』からは「あさがほ」としてみえ、はかないものという印象もしだいに加わり、『源氏物語』では作中人物の呼称や巻名に用いられ、『枕草子(まくらのそうし)』には、「草の花は」の一つとしてあげられている。

[小町谷照彦 2021年6月21日]


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改訂新版 世界大百科事典 「アサガオ」の意味・わかりやすい解説

アサガオ (朝顔)
morning glory
Pharbitis nil (L.) Choisy.(=Ipomoea nil(L.) Roth)

ヒルガオ科アサガオ属の植物。花が美しいため観賞用に栽培される。ヒルガオ科は世界中で約50属,1600種が知られており,ほとんどが亜熱帯,熱帯に分布している。アサガオ属も亜熱帯,熱帯に分布しているが,サツマイモ属Ipomoeaとごく近縁で,同一属とされることもある。

 アサガオ属Pharbitisにはアサガオのほかに,アメリカアサガオP.hederacea Chois.,ノアサガオP.congesta Roth,マルバアサガオP.purpurea Voigtなどがある。アサガオの原産地は南中国からヒマラヤ,ネパールの山麓地帯か,あるいはボルネオ,セレベスなど東南アジア地域と推定されている。アメリカアサガオは熱帯アメリカ原産で,葉は心状卵形,全縁のこともあり,くびれが大きく3裂している。花は小輪で淡青色,つぼみが2,3個ずつ固まってつき,一日中咲く。ノアサガオは紀伊半島以南,九州,沖縄,台湾などに分布している。多年生のつる草であり,葉は広心状卵形,花は淡紅~淡紫色である。マルバアサガオも熱帯アメリカ原産で,葉は広心状卵形,3~5個ずつのつぼみをつけ,花色は濃青,紫,淡青,紅などである。

日本のアサガオは,奈良朝の末期に遣唐使の一行によって中国から渡来したとか,朝鮮の百済(くだら)から持ち込まれたとかいわれるが,定説はない。中国ではアサガオを牽牛(けんご),種子を牽牛子(けんごし)といっている。薬用の種子は黒と白色のもので,利尿,殺虫をかねた峻下剤として,下半身の水腫,尿閉症の妙薬として珍重されたようである。主成分は樹脂配糖体のファルビチンpharbitinで,ヤラッパ根に含まれるヤラップjalapと同様に,強烈な瀉下(しやげ)作用がある。日本でも初期は,朝廷が大和の畝傍(うねび)地方の薬草園に植えたと推定されている。

 渡来当初のアサガオの花色は淡青1色の小輪咲きであった。それ以降約1000年の間には白と浅黄の2色のものが出現し,文化・文政年間(1804-30)になって急激に栽培熱が盛り上がり,品種改良が進み,突然変異も再々繰り返されて,つぎつぎと現在見るように多くの花色,模様が出現し,葉形,花形も多種多様のものが現れた。また詩歌に詠まれ,絵画,浮世絵にとり上げられた。

 現在,日本で栽培されているアサガオは,大輪アサガオと変化アサガオに大別される。文化・文政年間,嘉永・安政年間(1848-60)に熱狂的に栽培された変化アサガオは,1885年ころから1935年ころまで再びブームを迎え,盛況をきわめたが,一方では徐々に大輪咲きの栽培熱が盛り上がり,現在では変化咲きは大輪咲きに押されて,衰微の一途をたどり,少数の愛好家によってわずかに品種の保存がはかられているにすぎない。これまでアサガオの歴史といえば,珍花奇葉の変化アサガオのことが主であり,嘉永・安政年間に9代目市川団十郎にちなんで命名された濃柿茶の〈団十郎〉は,当時の大輪花の代表的なもので,現在でも作られている。

 アサガオの園芸植物としての品種改良は日本独自に進んだもので,再々突然変異を見いだし発展をとげた。その葉形,花形は変異性に富み,変化アサガオでは千差万別である。葉形の基本形には並葉,蟬(せみ)葉,洲浜葉,千鳥葉,蜻蛉(とんぼ)葉,丸葉,立田葉,柳葉,乱菊葉,笹(ささ)葉,南天葉,孔雀(くじやく)葉,鍬形葉,雀(すずめ)葉,芋葉,立田林風,昼顔葉およびその複合葉形のものなど多数ある。それらの中で並葉,蟬葉,洲浜葉,千鳥葉などは丸咲きの花で,とくに蟬葉が最大輪で,現在,極大輪咲きとして作られ,改良の進められている品種の大半がこの葉形である。

 一般にアサガオといえば,漏斗状の丸咲きのアサガオのことで,変化アサガオについてはあまり知られていない。最近ようやく桔梗(ききよう)咲き系のものが市販され,作られている。

アサガオを作るには,種子を1昼夜水につけ,砂その他無肥料に近い土にまき,発芽したら,水はけがよく,肥もちのよい土に移植し,日のよく当たる,通風のよい,できるだけ高めの場所で,あまり水を多くやらずに栽培すれば,だれにでも作れる園芸植物である。
執筆者:

《万葉集》では〈アサガオ〉はおもにキキョウやムクゲのことを指していたといわれる。現在いうアサガオは奈良時代に中国から伝来したもので,当初は種子を牽牛子と呼び,下剤として用いていた。やがて,この牽牛子もアサガオと呼ばれるようになり,平安時代の中ごろにはアサガオといえばこれを指すほどになった。アサガオは花の生命が短いために,中世にはこの世のはかなさを象徴する花と見られていたようで,御伽草子にも〈朝顔の露の宮〉の話があるが,アサガオが一般庶民の間に普及したのは近世になってからであり,ことに中期以降に広く見られるようになった。近世後期の文化・文政期は,日本の園芸文化が一大発展をとげた時代で,ツバキ,キク,ラン,オモトなど諸種の植物に従来なかった珍花,美花,変形花が創出されたが,アサガオも例外ではなかった。文化年間末に《花壇朝顔通》という書物が刊行され,盛んに変化アサガオが作られた。江戸の入谷では朝顔人形が作られたほか,その影響は文学や演劇などの分野にも及んだ。化政期以降,花が大輪化し色彩も豊かになって,花や葉にも種々の変化がもたらされた。有名な東京入谷の朝顔市は,明治中期にはじめられたもので,一時中断していたが,第2次大戦後に復活し,7月6~8日に鬼子母神の境内で行われている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアサガオの言及

【秋の七草】より

…ハギ,オバナ(ススキ),クズ,ナデシコ,オミナエシ,フジバカマ,アサガオの7種の草本で,日本の秋の花を代表するものとされる。だれが選定したという記録はないが,《万葉集》に載せられた山上憶良の7種の花の短歌にこの順序で詠まれているものを指すのがふつうである。…

【文化文政時代】より

…江戸時代後期,第11代将軍徳川家斉(いえなり)治下の文化・文政年間(1804‐30)を中心とした時代。略して化政期ともいう。また,家斉が1837年(天保8)将軍職を家慶(いえよし)に譲り西の丸に退隠した後も,大御所と称して実権を握っていたため,将軍時代を含めた家斉一代の治世を大御所時代とも呼ぶ。
【時代の特色】
 天明(1781‐89)から文化・文政をはさんで天保(1830‐44)にかかる約半世紀は,幕藩体制の解体期であり,太平の世相を謳歌(おうか)しながら,実は封建制の衰退が一段と深刻化した時期であった。…

※「アサガオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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