アクセリロード
あくせりろーど
Павел Борисович Аксельрод/Pavel Borisovich Aksel'rod
(1850―1928)
ロシアの革命家、メンシェビキの指導者。キエフ(キーウ)大学卒業後、ナロードニキの運動に参加し、「チョールヌイ・ペレジェール(全土地割替)派」のメンバーとなった。1883年、亡命先のスイスでプレハーノフらとともに、ロシア最初のマルクス主義の団体「労働解放団」を創設。1903年のロシア社会民主党の第2回大会以後メンシェビキとなり、合法的な組合活動を主張して、レーニンらボリシェビキと対立した。
[外川継男]
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「アクセリロード」の意味・わかりやすい解説
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アクセリロード【Pavel Borisovich Aksel’rod】
1850?‐1928
ロシアの貧しいユダヤ人の家庭に生まれ,1870年代にナロードニキとして活動。亡命し,マルクス主義に転じ,プレハーノフ,ザスーリチらと労働解放団を創立,ロシア・マルクス主義の発展に貢献した。第2回党大会ではメンシェビキにくみし,そのイデオローグとなった。当面の革命をブルジョア革命に限定し,大衆的労働者党の建設を主張した。1905年第1次革命後の合法活動の重視は,レーニンから〈解党派〉と批判された。17年の二月革命後,病体をおして封印列車で帰国。
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