アクスム王国(読み)アクスムおうこく

改訂新版 世界大百科事典 「アクスム王国」の意味・わかりやすい解説

アクスム王国 (アクスムおうこく)

エチオピア高原北部のアクスムAxum(Aksum)に都を置いた商業王国。この地にはすでに紀元前から,アラビア半島南部に住むセム語族のサバ語を話す諸族が紅海を渡って移住してきていた。紀元前後ころ,紅海貿易を支配していたローマ帝国の勢力が衰えると,これらの人びとがローマにとって代わり,紅海をまたいで現在のエチオピア北部からイエメンに及ぶ王国をつくりあげた。この王国をアクスム王国と呼ぶ。後1世紀ころに書かれた《エリュトラ海案内記》は,アクスムがアフリカ内陸部から運ばれてくる象牙集散地であることを伝えている。アクスムはアトバラ川を通じて,ナイル川上流のクシュ王国交易を行ったが,クシュの勢力が衰えると,これを攻撃して4世紀半ばに滅ぼした。この時のアクスム王はキリスト教に改宗したエザナEzanaで,クシュとの戦いのもようは当時の碑文に詳細に伝えられている。王国は7世紀以降イスラム教徒が紅海貿易を支配するようになって衰えた。

 現在のアクスムは人口約1万4000の小さい町であるが,遺跡なかで最も目をひくものは,高さ33mに及ぶ花コウ岩の石碑で,これには三日月太陽が刻まれていることによって,後355年よりも前に建立されたことが確証されている。すなわち,王国の国教をキリスト教としたエザナ王の死がその年で,三日月と太陽は,それ以前の南アラビア起源宗教象徴だからである。また女王シバの墓といわれるものも市内にある。
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百科事典マイペディア 「アクスム王国」の意味・わかりやすい解説

アクスム王国【アクスムおうこく】

エチオピア北部を起源とする同地方で確認できる最古の王国。1世紀には歴史上にその名を見ることができる。アラビア半島から移り住んだ人々により建国され,やがて紅海をまたぎ対岸のイエメンにまで版図を広げた。紅海,インド洋,アフリカ内陸各方面との交易により繁栄し,4世紀にクシュ王国を滅ぼすころまでにはキリスト教を受容した。6世紀にササン朝ペルシアによりアラビア半島から追われると徐々に衰退に向かった。王都アクスムの遺跡は1980年世界文化遺産に登録。
→関連項目アムハラエリトリア

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アクスム王国」の解説

アクスム王国(アクスムおうこく)
Aksum

現在のエリトリアからエチオピア北部へかけての地を領域として,紀元前後より約10世紀間存続した王国。国名は同名の首都の名にちなむ。言語(ゲエズ語)は南西セム語派に属するが,文化的には先アクスム期に強くみられた南アラビアの影響を脱して独自の発展をとげた。インド洋交易に活躍した3~6世紀が最盛期で,南アラビアへも宗主権を主張した。4世紀前半にキリスト教を受容。7世紀に沿岸部をイスラーム勢力に奪われて以降,衰退した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「アクスム王国」の解説

アクスム王国
アクスムおうこく
Axum

前120ごろ〜後572ごろ
セム系アクスム人がエチオピアに建てた国
紅海を越えてイエメンにまでおよぶ王国となった。4世紀エザナ王のとき,キリスト教を受け入れ,クシュ王国を滅ぼした。6世紀後半,ササン朝のホスローに攻撃され滅亡した。

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世界大百科事典(旧版)内のアクスム王国の言及

【アフリカ】より

…アジア起源のゼビュー(コブウシ)と地中海産の牛の混血と思われる牛の飼育が,西アフリカの一部と東アフリカの牧畜民によって行われてきたが,農耕との有機的な結びつきはなく,運搬獣としてもほとんど用いられなかった。 前5世紀ころ,アラビア半島からエチオピアに渡来したセム系の集団によって,ハム系の先住民文化の上に築かれたアクスム王国(現,エチオピア)は,後4世紀にアタナシウス派のキリスト教をとり入れ,アフリカ大陸において特異な文化を形成した(エチオピアでは犂耕,オオムギの栽培も行われてきた)。古代エジプト王国やアクスム王国,カルタゴ(現,チュニジア)を中心とするフェニキア文化,ローマ文化など,古代北アフリカとエチオピアは,西アジア・地中海型の性格の強い文化を形づくってきたが,これらの古代文化の影響は,サハラ以南のアフリカには広く根をおろさなかった。…

【アラビア半島】より

…しかしこのころから南アラビアの社会と経済に重大な変化が生じ始めた。その最初の徴候はササン朝ペルシアとアビシニア(エチオピア)のアクスム王国の一時的なイエメン占領で,4世紀半ば過ぎにはキリスト教も伝えられた。灌漑農業の荒廃を象徴するマーリブのダムの決壊は,4世紀から6世紀半ばまでに数回繰り返された。…

【エチオピア】より

… アムハラ族はエチオピアの支配層でもあって,誇り高い人々である。彼らはアクスム王国の子孫であり,故ハイレ・セラシエ皇帝はソロモン王とシバの女王の子孫と主張した。彼らは選ばれた民として4世紀にはキリスト教を受容した。…

【ゲエズ語】より

…ゲエズ語は紀元前に南アラビアから紅海を渡って,エチオピアに移住したセム系の人々の言語(古代南アラビア語の方言)が,土着の言語(クシ諸語)との接触の過程を経て新たに成立した言語である。 北部エチオピアで栄えたアクスム王国の言語として,後3世紀からの碑文資料をもっているが,帝国の衰亡にともなって,10世紀ころには死語となった。しかしそれ以後も文章語としての独占的地位を保ち,19世紀末にアムハラ語に取って代わられるまで,翻訳を中心とする多くのキリスト教文献をはじめ,独自のゲエズ語作品を生み出して,伝統的なエチオピア文化の形成に重要な役割を果たした。…

※「アクスム王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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