アイルランド(島)(読み)あいるらんど(英語表記)Ireland

翻訳|Ireland

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アイルランド(島)」の意味・わかりやすい解説

アイルランド(島)
あいるらんど
Ireland

ヨーロッパ大陸北西の大西洋縁辺部にある大島。イギリス諸島の西側を占め、アイリッシュ海を隔ててグレート・ブリテン島に対する。北緯51度30分~55度30分、西経5度30分~10度30分に位置し、ほぼ菱形(ひしがた)の扁平(へんぺい)な島。北端のマリン・ヘッド(岬)から南端のミズン・ヘッドまで486キロメートル、東西275キロメートル。面積8万4421平方キロメートルで、北海道(本島7万8073平方キロメートル)よりやや大きい。グレート・ブリテン島との最短距離は、ノース海峡の部分で22キロメートル。政治的には、アイルランド共和国と、イギリス領の北アイルランドとに分かれている。人口はアイルランド共和国391万7203(2002国勢調査)、北アイルランド168万5267(2001)。

[上野 格]

自然

地形

中央部に平野が広がり、ヨーロッパから延びる二つの山系が相接して周辺部の山地を形成している。一つは古いカレドニア山系で、スカンジナビアスコットランドにつながり、アイルランドでは北部から北西部の海岸地帯を構成している。花崗(かこう)岩と堆積(たいせき)岩の山地で、エリガル山(752メートル)、ネフィン・ベッグ、トウェルブ・ベンズなどの、低いが美しい山々と、不毛なカルスト台地、侵食による河川、湖、リアス海岸、フィヨルドがみられる。南東部海岸地帯のウィックロー山地もこの山系に属し、削剥(さくはく)による花崗岩の露出と、U字谷、カール(圏谷)などが存在する。南西部には、中央ヨーロッパからブルターニュ、南西イングランドを通ってふたたび現れる新しい山系(アルモリカン)に属する砂岩の山地がある。主峰キャラントゥール山(1041メートル)は、全島で1000メートルを超す唯一の山である。また、北部には玄武岩質の丘陵がある。これはスコットランド西部から、イギリス諸島北部の大西洋上にあるフェレルネ諸島(英語名フェロー諸島、デンマーク領)へと延びる第三紀始新世の火山活動によるものである。

 この島は少なくとも二度、氷冠に覆われた。それが消滅したのは1万2000年前ごろであり、氷食と堆積が地形をつくりあげた。中央部の大半は、石灰岩床が氷河堆積物に覆われている。西海岸のクルー湾から東海岸まで、アルスター地方の境に沿って広く帯状に連なる小丘陵(ドラムリン)、その南の砂礫(されき)丘(ケーム)と堤防状のエスカーなどがそれである。

 河川も数多く、シャノン川(370キロメートル)をはじめ、バン川、ボーイン川などいずれも緩やかに流れている。イギリス諸島中最大の湖ネー湖(396平方キロメートル)は、ヨーロッパ有数のウナギの産地である。このほか、コリブ、マスク、リー、デルクなど湖沼が数多い。キラーニー地方は湖の美しさで知られている。湿原も多く、泥炭地(ピート・ボグpeat bog)が広く分布している。

[上野 格]

気候

メキシコ湾流の影響で緯度のわりには気温が高く、1月の平均気温は南部で7℃、北部山地でも4℃、7月は南部15.5℃、北部でも14.5℃である。風向は偏西風が年間7割を超え、とくに風の強い西海岸では樹木の生育も妨げられるほどだが、これが山地で年間1250~2000ミリメートル、平野部で750ミリメートルの雨を、年中ほぼ平均してもたらしている。天候は非常に変わりやすく、1日のうちに晴雨交代を繰り返すことも珍しくないが、これが、島を緑一色に染め上げている。雪はあまり降らず、西部では霜もまれで冬期も牧草が成育する。

[上野 格]

動植物

海面上昇によりアイルランド島がグレート・ブリテン島から離れたのは8000年前ごろで、これがかなり急速であったため、氷河期後は動植物があまり移入せず、アイルランドには土着の動植物の種類が比較的少ない。かつてはカシ、カバなど広葉樹の原生林が広く存在したが、数百年前にほとんど消滅し、現在は針葉樹を主にした植林で森を再生させる試みが続けられている。哺乳(ほにゅう)動物には、アザラシなどのほか、テン、アイルランドノウサギ、アカシカなど27種が認められるが、モグラはいない。野鳥はスズメ目(燕雀(えんじゃく)類)を主に380種が観察されており、そのうち135種が島内で繁殖している。爬虫(はちゅう)類は小トカゲ1種のみで、ヘビはいない。

[上野 格]

歴史


 アイルランドの有史時代は鉄器をもって来島したケルト人とともに始まる。多くの巨石墳墓や貝塚の存在はそれ以前の新石器人の存在を示している。ケルト語と鉄器文化をもって来島し、部族共同体を形成したケルト人が現在のアイルランド人の先祖、先住(ネイティブ)アイルランド人である。

[堀越 智]

ケルト人来島からイギリス支配の確立まで――古代・中世

紀元前6世紀ごろより来島したケルト人は、やがて紀元後2世紀ごろにはたくさんの小王国を形成し、3世紀には権力は弱いが大王制も始まって、一つの国として緩やかに発展していった。ダブリン近郊のタラの丘で開かれた祭典は、大王の前に全自由民が集まって物語や詩の朗読を聞き、スポーツを楽しんだ民族の祭典であった。タラTaraの名は民族の故郷としていまもアイルランド人の心に深く刻まれている。

 キリスト教が伝わったのは4世紀であった。聖パトリック(432年来島)などの優れた指導者によってアイルランド独特のキリスト教文化が発展し、「聖者と学徒の島」として、ヨーロッパ中に知られた。円環をもった石の十字架や「ケルズの書」など聖書の写本は、この時代の教会美術を美しく現在に伝えている。

 8世紀末から始まったノルマン人の侵入と、続くイギリス王の侵略は、アイルランドの歴史を一変した。アイルランド教会は熱心なカトリックとなり、イギリス王によって開設されたアイルランド議会は、ノルマン・アイリッシュやアングロ・アイリッシュの権勢を表した。ケルトの諸部族は何度も反乱を繰り返したが、それも17世紀なかばのアルスターの反乱(1641年暴動、翌年カトリック連盟結成、アイルランド独立を宣言)を最後に終わった。これはイギリス革命のときであった。革命によって成立したイギリスの新しい政権から、アイルランドはいっそう強力な支配を受けることになった。O・クロムウェルのドロヘダDroghedaの虐殺(1649)と土地没収や、ウィリアム3世の植民政策に始まり、一連のカトリック刑罰法をもって市民としての諸権利をカトリック教徒から奪い、プロテスタント支配という形で、イギリスの植民地支配は確立した。

[堀越 智]

イギリスへの抵抗から自由国へ――近代

アイルランド議会の権利を認めず、経済的自由を制限したイギリスの支配に対しては、先住アイルランド人だけでなく、アングロ・アイリッシュも、ノルマン・アイリッシュも、スコッチ・アイリッシュも一体となって抵抗した。『ガリバー旅行記』の著者J・スウィフトたち知識人がまず自治を主張し始め、アメリカ独立革命の開始とともにアイルランド議会の内外で強力な運動が展開された。グラタン議会とよばれる自治議会(1782~1801)が実現し、後のナショナリストに具体的な目標を残したのはこのときである。

 1801年のイギリスによる併合は、アイルランド史上重要な意味をもっている。第一は、これによって自らの権益を守る手段を失ったアイルランドがイギリスの収奪のままにさらされたことであり、第二は、世界一の先進国の一部としての利益を得たことである。一方では競争に敗れて工業が衰退し、不在地主の厳しい取り立てにたくさんの農民が国を出なければならなかったが、他方、教育の普及や鉄道の建設など、近代化も早かったのである。しかし教育の普及がアイルランド語人口を減少させ、産業革命が北アイルランドと他の地方の格差を広げるなどのゆがみは、自治議会を失ったことによるところが多かった。

 カトリック教徒解放法や国教会制度の廃止によって宗教問題が解決し、アイルランド土地法によって土地問題が基本的に解決すると、自治、独立の問題が焦点となった。しかし第一次、第二次自治法案に際してみられたように、反対はアイルランド内部からもおこった。北アイルランド・ユニオニスト(イギリスとの連合を支持した人々)の強い反対は、ついにアルスター地方9県のなかの6県を「北アイルランド」として分離し、連合王国に残すことになった。1916年のイースター蜂起(ほうき)は民族感情をかき立て、1919年からの独立戦争によって「アイルランド自由国」を実現することになるのだが、1920年の「アイルランド統治法」によって、北アイルランドの分離という現在の紛争の原因となる事実をつくってしまったのである。

[堀越 智]

自由国から共和国へ――現代

1922年に成立したアイルランド自由国は、国土の一部北アイルランドを連合王国に残し、領海の警備、港湾の管理、軍事力など一部制限されてはいたが、独立国に近い地位を得て、1923年に国際連盟に加盟した。独立運動を推進してきたシン・フェイン党は、自由国を支持するゲール党と、条約に反対する共和党に分裂した。その後、デ・バレラたちが共和党から離れて1926年にフィアナ・フォイル(運命の戦士、日本では共和党と訳している)を結成し、自由国議会に参加した。ゲール党政府は親英保守政策でしだいに国民の支持を失い、1932年の総選挙ではデ・バレラが勝利して労働党との連立政府を組織した。ゲール党も1933年、統一アイルランド党(フィネ・ゲール、ゲール同盟)と衣替え、現在までこの二大保守党が、時に応じて労働党と連立を組んで政権を担当している。

 デ・バレラ政府は反英民族主義政策を打ち出し、まず土地年賦金の不払いをイギリスに通告した。これは農民が一連の土地法で取得した農地の代金を、イギリス政府に年賦で支払っていたものを、自由国成立後は自由国を通して支払っていたものであるが、1930年代の不況でアイルランド農民の重い負担となっていた。これに対してイギリス政府が関税を強化し、自由国政府も高関税で応じ1938年までこの経済戦争が続いた。経済戦争を終結した協定で、イギリスは在アイルランド駐留軍の完全撤退とイギリスが管理する軍港の返還も約束した。その前年1937年、デ・バレラはアイルランドを独立した民主的主権国家と規定した新憲法を国民議会で可決し、国民投票でも承認されて、事実上共和国となり、国名を「エール」(英語名アイルランド)とした。領域はアイルランド島全土とし、言語はゲール語を第一国語、英語を第二国語とした。緑(アイルランドそのもの、カトリックを表す)、白(友愛、平和、協調)、オレンジ(オレンジ公ウイリアム3世にちなんでプロテスタントを表す)の三色旗(1848年にフランスの三色旗にならって青年アイルランド党がつくったもの)を制定した。国歌はイースター蜂起のときに歌われた「兵士の歌」が自由国時代に決まっていた。初代大統領はゲール語復興運動の中心的活動家ダグラス・ハイドであった。

 デ・バレラのナショナリズムは第二次世界大戦にあたっての中立政策となった。といっても連合国側に事実上加担した中立であったが、イギリスのチャーチル首相からは激しく非難された。この中立政策は大戦後も継続され、NATO(ナトー)(北大西洋条約機構)不参加となって示されている。

 戦後まもなく1948年にイギリス連邦から離脱、翌1949年にアイルランド共和国となり、国連には1955年に加盟した。完全独立を果たしたものの植民地時代からの経済的困難が続き、海外移民も19世紀と変わらないほどであった。また首都ダブリンへの人口集中も激しく農村の過疎化が進んだ。しかし1958年から始まった外資導入による工業化政策は政府の積極的な優遇措置と低賃金もあって、英米中心に多くの企業誘致に成功し、1960年代に入ると急速な成長をみせた。とくに1973年にEC(ヨーロッパ共同体)に加盟したことがその勢いを加速した。日本からも旭化成、富士通、ブラザー工業、ノリタケ、日本電機(NEC)、アサヒビールなどが進出している。1980年代に入るとアップル・コンピュータ(現アップル)、マイクロソフト、インテル社などアメリカのコンピュータ企業の進出がアイルランドの経済成長をさらに促し、1990年代にはアイルランド・ポンドの価値がイギリス・ポンドを上回るようになった。こうした経済成長に伴って、ナショナリズムとカトリシズムの強かった伝統的なアイルランド社会の変革を求める動きも活発になってきた。しかし中絶問題、離婚問題などカトリックの基本理念に触れる問題は国民投票でも否決されるなど、民衆に対するカトリック教会の影響力は依然として強いが、離婚については1995年11月、国民投票で僅差(きんさ)ながら憲法改正派が勝利することになった。さらに避妊合法化運動など女性の社会的地位の改善を訴え続けたメアリ・ロビンソンが、女性団体、人権擁護団体などの支援で下馬評を覆して1990年に大統領に当選し、続いて1997年、メアリ・マッカリースMary McAleese(1951― )が第8代大統領に当選した。2代続いての女性大統領で、しかもマッカリースは北アイルランド出身であった。アイルランドはこのように大きな変革を遂げようとしている。

[堀越 智]

『堀越智著『アイルランド民族運動の歴史』(1979・三省堂)』『T・W・ムーディ、F・X・マーチン編著、堀越智監訳『アイルランドの風土と歴史』(1982・論創社)』『堀越智著『アイルランドイースター蜂起1916』『アイルランド独立戦争 1919―1921』(1985・論創社)』『P・B・エリス著、堀越智・岩見寿子共訳『アイルランド史――民族と階級』上下(1991・論創社)』『小野修著『アイルランド紛争――民族対立の血の精神』(1991・明石書店)』『鈴木良平著『IRA』(1991・彩流社)』『上野格著「アイルランド」(松浦高嶺著『イギリス現代史』所収1992・山川出版社)』『松尾太郎著『アイルランド民族のロマンと反逆』(1994・論創社)』『堀越智著『北アイルランド紛争の歴史』(1996・論創社)』『S・マコール著、小野修編、大渕敦子・山奥景子訳『アイルランド史入門』(1996・明石書店)』『波多野裕造著『物語アイルランドの歴史』(中公新書)』『R・フレシュ著、山口俊章・山口俊洋共訳『アイルランド』(白水社文庫クセジュ)』『オフェイロン著、橋本槙矩訳『アイルランド――歴史と風土』(岩波文庫)』


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