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デジタル大辞泉
「アイスキネス」の意味・読み・例文・類語
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アイスキネス
Aischinēs
生没年:前397ころ-前322ころ
アテナイの政治家,弁論家。前4世紀後半のアテナイで,当時北方よりギリシア本土に勢力を伸ばしつつあったマケドニアへの対抗策をめぐり,強硬論を主張する代表的な政治家デモステネスと激しく対立し,裁判でも再三争ったが,前330年敗れてロドス島に隠棲した。両者の法廷弁論は,当時のアテナイの内政と外交の実状を明かす貴重な史料をなしている。
執筆者:伊藤 貞夫
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アイスキネス
Aischinēs
[生]前389頃.アテネ
[没]前314頃.ロードス
ギリシアの雄弁家,政治家。アッチカ十大雄弁家の一人。前 348年マケドニア王フィリッポスとの和平の使節団に加わって以来,親マケドニア派の旗頭として,反対派のデモステネスとの間に激しい論戦を展開。前 340年の彼の演説を契機にデルフォイをめぐる聖戦が始り,その結果マケドニアの介入によって前 338年カイロニアの戦いにアテネ軍は大敗した。デモステネスの行賞に反対した彼は,前 330年デモステネスとの間に最後の大演説戦を交えた。しかし訴訟に敗れて追放され,ロードス島の弁論術の教師として生涯を終えた。演説3編が現存。
アイスキネス
Aischinēs of Athens
前5~4世紀頃のギリシアの哲学者,ソクラテスの熱心な信奉者。彼は師の裁判にも臨終にも立会い,その『ソクラテス的対話篇』は師の面影を最もよく伝えるものとされたが,アンチステネスやアリスチッポスのようには学派をつくらなかった。
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「アイスキネス」の意味・わかりやすい解説
アイスキネス
アテナイの政治家,雄弁家。親マケドニア政策を鼓吹し,同時代の大雄弁家デモステネスと激しく対立して敗れる。
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