なかにし礼(読み)ナカニシレイ

デジタル大辞泉 「なかにし礼」の意味・読み・例文・類語

なかにし‐れい【なかにし礼】

[1938~2020]作詞家・小説家。満州の生まれ。本名、中西礼三。シャンソン訳詩を手がけた後、歌謡曲の作詞家となり、洗練された大人感覚で多くのヒット曲を生む。その後小説も執筆し、自伝的な作品話題となる。「長崎ぶらぶら節」で直木賞受賞。他に「兄弟」「赤い月」「てるてる坊主の照子さん」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「なかにし礼」の意味・わかりやすい解説

なかにし礼
なかにしれい

[生]1938.9.2. 満州,牡丹江
[没]2020.12.23. 東京
作詞家,作家。本名中西禮三。情愛などをテーマにした約 4000曲の楽曲の作詞を手がけ,1960~80年代に数々の歌謡曲をヒットさせたほか,小説家としても活躍した。北海道小樽市から満州に渡り事業を営む両親のもと,現在の中国のヘイロンチヤン(黒竜江)省にあるムータンチヤン(牡丹江)で生まれる。第2次世界大戦後,命からがら帰国し,このときの経験がのちの創作活動に大きな影響を与えた。東京都立九段高等学校から 1958年に立教大学に入学したが,中退・再入学などを経て 1965年に卒業。在学中からシャンソン訳詞を手がけ,菅原洋一のうたう『知りたくないの』(1964)のヒットをきっかけに,作詞家の道に進む。菅原洋一の『今日でお別れ』(1967),黛ジュンの『天使の誘惑』(1968),細川たかしの『北酒場』(1982)で日本レコード大賞を受賞し,ヒットメーカーとしての地位を確立した。このほかのヒット曲に弘田三枝子の『人形の家』(1969),北原ミレイの『石狩挽歌』(1975),黒沢年男の『時には娼婦のように』(1978)などがある。その後,作家活動に注力し,1998年に初の小説『兄弟』を発表,2000年に『長崎ぶらぶら節』(1999)で直木賞を受賞した。『赤い月』(2001),『てるてる坊主の照子さん』(2002),『三拍子魔力』(2008),『芸能の不思議な力』(2018)など多数の著作を発表したほか,『静と義経』(1993。作曲三木稔)などオペラの台本も執筆した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

知恵蔵mini 「なかにし礼」の解説

なかにし礼

作詞家、作家。1938年、中国黒龍江省の牡丹江市生まれ。立教大学文学部仏文科在学中よりシャンソンの訳詞を手がけ、64年に「知りたくないの」がヒットしたのを機に作詞家となる。大ヒットした「恋のフーガ」、「石狩挽歌」、「北酒場」など、手がけた楽曲は4000曲以上にのぼる。「天使の誘惑」などで日本レコード大賞の大賞を3回、作詞賞を2回受賞した。98年には、実の兄との葛藤をもとに描いた小説『兄弟』で作家デビューし、次作の『長崎ぶらぶら節』で2000年に直木賞を受賞した。その後も、自身が旧満州から引き揚げた際の過酷な体験を題材にした『赤い月』や、妻の家族をモデルにした『てるてる坊主の照子さん』など、小説を多数手がけた。また、オペラの台本執筆・演出をしたり、ミュージカルの作詞をしたりと、晩年まで幅広い分野で活躍を続けた。20年12月23日に82歳で死去した。

(2020-1-07)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「なかにし礼」の解説

なかにし礼 なかにし-れい

1938- 昭和後期-平成時代の作詞家,小説家。
昭和13年9月2日満州(中国東北部)牡丹江(ぼたんこう)生まれ。シャンソンの訳詞を手がけ,昭和42年「霧のかなたに」のヒットで注目され,「知りたくないの」「北酒場」などおおくのヒット曲を生んだ。ついでオペラの台本,演出をこころみ,同時に小説に挑戦。平成10年自伝的小説「兄弟」が話題をよび,12年「長崎ぶらぶら節」で直木賞。立大卒。本名は中西礼三。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android