「陣中膏ガマの油売り」の口上(読み)じんちゅうこうがまのあぶらうりのこうじょう

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

「陣中膏ガマの油売り」の口上
じんちゅうこうがまのあぶらうりのこうじょう

ガマ油売り口上は、浅草観音境内奥山で居合抜きの辻(つじ)売り芸で知られた長井永井)兵助の口上を、同じく同所で独楽廻(こままわ)しの曲芸をやっていた松井源水が受け継いだとされる。16代源水の弟子という明智(あけち)三郎が伝える口上は、古典落語にみられるそれと大差ない(以下括弧(かっこ)内の言い換え、挿入は落語の文句)。

 「サァサァ、お立ち会い、ご用とお急ぎでないかたはゆっくりとお聞きなさい。鐘一つ売れぬ日もなし都かな、遠出山越し笠(かさ)の内、物のあや色(文色(あいろ))と利方(りかた)(道理(りかた))がわからぬ。山寺の鐘が陰々(ゴーン)と鳴るといえども、童子一人きたり(きたって)鐘に撞木(しゅもく)を当てざれば、鐘が鳴るやら撞木が鳴るか(鳴るやら)、とんとその音色がわからぬ(道理)。

 だがしかし(だが)お立ち会い、手前持ち出(いだ)したるこの棗(なつめ)、この中には一寸八分唐子機関(からこぜんまい)の人形、数多(あまた)日本に細工人もあるといえども、京都にて(には)紫随(しずい)、大阪表(おもて)には(にては)竹田(ちくでん)縫之助、近江(おうみ)の大掾(だいじょう)藤原(の)朝臣(あそん)、手前持ち出したるは近江の津守(つもり)細工、咽喉(のど)には(ハイ)八枚の羽車を仕掛け、背中には十二枚の枢(くるる)(鞐(こはぜ))を仕掛け、大道へ(に棗を)据えおくときは(には)、天の光に地の湿りを受け(て)、陰陽合体いたせば(し)、棗の蓋(ふた)をパッととり(とるときは)、ツカツカ進むが虎(とら)の小走り虎歩き、雀(すずめ)の駒(こま)どり(となり)、駒返し、孔雀(くじゃく)雷鳥の舞い、人形の芸当は(芸道)十二通り(ある)。

 だァがお立ち会い、お放(ほう)り(抛(ほう)り)銭(せん)(と)投げ銭はおよしなさい。大道にて(に)未熟なる(な)渡世(とせい)をいたしても、はばかりながら天下の町人、(いまのお人のように)放り(抛り)銭や投げ銭はもらわず(に)、何稼業(かぎょう)(業(なりわい))に(と)するやという(に、多年業というは蟇(ひき)せんそう〈注―蝉噪・仙草〉四六のガマの膏(あぶら)だ)。

 だがしかしお立ち会い、手前持ち出したるは四季蟾酥(せんそ)は四六のガマの油、いまのお人のように、そういうガマは俺(おれ)の縁の下や流しの下にたくさんいるという(おかたがあるが)、それはお玉蛙(がえる)ひき蛙というて(いって)薬力や効能の足(た)しにはならない。手前持ち出したるは(手前のは)四六のガマ、四六、五六はどこでわかる、前(足)が四本で後ろ足のつめ(後ろ足)が六本、だからこれを名ぞらえて(名づけて)四六のガマという。

 このガマの住む(住める)処(ところ)は、京都よりはるかかなた(これよりはるゥか北にあたって)伊吹山の麓(ふもと)において(筑波(つくば)山の麓で)、車前(おんばこ)(草)という露草を食(くら)って棲息(せいそく)なし(露草を食う)。

 このガマの油をとるときは(には)、四方へ(には)鏡を立て、下に(は)金網を敷き(はって)、その中へガマを追い込む。ガマは己の姿が鏡に写る(ので)、己の姿を見て己と驚き、タラーリタラーリ(タラリタラァリ)と油汗を垂らす(流す)、その油汗をば(それを)下の金網より抜いて(にて吸い)とり、柳の小枝をもって三七、二十一日の間、トローリトローリ(トロリトロリ)と焚(た)き(煮)詰めたるが(たのが)このガマの油だ」。

 (以下、おなじみの効能口上と紙切りのしぐさのあと、刀での実験の見せ場となるが、以下は落語の文句で掲げる)
 「赤いは辰砂(しんしゃ)〈注―天然の赤色硫化水銀〉にヤシの油、テレメンテイカ〈注―テレビン油をとる生松脂(まつやに)〉、マンテイカ〈注―豚脂。ともにポルトガル語の訛(なまり)語で、膏薬(こうやく)に使った〉、効能は出痔(じ)、疣(いぼ)痔、横根、雁瘡(がんそう)、楊梅瘡(ようばいそう)〈注―性病〉、金創(きんそう)〈注―刀傷〉には切創(きりきず)、いつもは一貝十二文だが、今日は小貝〈注―昔の膏薬は貝殻を容器とした〉を添えて二貝で十二文。ガマの膏薬の効能はそればかりかというに、まだある、切れ物の切れ味を止める。

 手前持ち出したるは、鈍刀なりといえども、本(もと)が切れて先が切れない、中刃(ちかば)が切れないというようなものではない。お目の前でいま白紙を細かに刻んでご覧に入れる。一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚が十六枚、十六枚が三十と二枚、三十二枚が六十四枚。

 春は三月落花の形、比良(ひら)の暮雪は雪降りの形。このくらい切れる刀でも、差裏差表(さしうらさしおもて)へ、このガマの油を塗るときは、白紙一枚容易に切れない、引いて切れない、叩(たた)いて切れない、拭(ふ)き取るときにはどうかというに、鉄の一寸板でも真っ二つ、ちょっと触ってもこのくらい切れる。だがお立ち会い、このくらいの傷はなんのぞうさもない。ガマの膏をちょっとつければ痛みが去って、血がぴたりと止まる、なんとお立ち会い」。

 室町(むろまち)京之介の紹介する「正調伊吹山の坂野のガマの油」の口上も、上記の口上を簡易化し現代風にしたものである。関東の口上では「軍中膏ガマの油」といって、武田信玄を持ち出したりしているものもある。

[宗田 一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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