「東トルキスタン共和国」(読み)ひがしとるきすたんきょうわこく

知恵蔵 の解説

「東トルキスタン共和国」

中国の新疆(シンチャン)ウイグル自治区のウイグル族などトルコ系少数民族が、独立の共和国を形成しようとした際の名称。第2次世界大戦中に新疆を支配した盛世才がソ連後ろ盾にして、「東トルキスタン・イスラム共和国」を樹立しようとしたことに由来する。中国当局は、1958年6月に起こったウイグル族の反乱に対し、「地方民族主義分子」が「東トルキスタン共和国」建設を企図したと非難していた。90年4月初旬に新疆ウイグル自治区で起こった反政府運動につき、同月23日付「新疆日報」は「東トルキスタン共和国を再興しようとした蜂起」と報じた。反政府運動は、トルコに亡命した盲目のカリスマ的指導者イサ・アルプテキン(95年に94歳で死去)の東トルキスタン党に率いられてきた。近年は独立派の地下組織イスラム真主党なども活動している。新疆ウイグル自治区では北京が戒厳令前夜となった89年5月19日にも、首都ウルムチで大規模な反政府暴動が生じた。さらに91年7月にもカシュガルで深刻な暴動が起こり、96年2〜5月にも地下モスクを拠点としたウイグル独立州でのテロが多発、97年2月にはウルムチで連続バス爆破事件が起こっている。中国当局は「国内の分裂主義者と外国勢力の介入」を強く非難し、同年6月には遅浩田国防相も現地入りして治安強化を図った。にもかかわらず、新疆ウイグル自治区の各都市での漢民族への反乱、つまり東トルキスタン・ウイグル聖戦組織などの独立運動が連綿と発生しており、中国当局は99年夏にも「反乱分子」を相次いで処刑した。2002年6月にキルギスの首都ビシケクで中国の領事が殺されるなど、テロ活動も目立っており、中国当局はアルカイダと結んだ「東突[厥]恐怖(東トルキスタン・テロ)」だとして、国際的なテロ撲滅の目標にしている。03年10月には分離独立派「東トルキスタン・イスラム運動」の指導者ハッサン・マクスムが米国・パキスタン共同軍の反テロ作戦で射殺され、07年1月には18人がテロリストとして中国当局に殺害された。04年9月に米国のワシントンD.C.に「東トルキスタン亡命政府」が発足、ラビア・カーディル女史らの独立運動や中国政府のウイグル人女性同化政策への批判もあり、約720万人のウイグル族の動向は、今後も注目されよう。

(中嶋嶺雄 国際教養大学学長 / 2008年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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