駢文(読み)べんぶん

精選版 日本国語大辞典 「駢文」の意味・読み・例文・類語

べん‐ぶん【駢文】

〘名〙 (「駢」は馬を二頭並べること) 漢文文体の一つ。四字と六字を一句基本とし、対句を多用する華美な文体。漢・魏に起こり、六朝に大いに流行し、中唐韓愈柳宗元の提唱した古文の文体が定着するまでは、中国文章の最も代表的な文体であった。四六駢儷体(しろくべんれいたい)。駢体。

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デジタル大辞泉 「駢文」の意味・読み・例文・類語

べん‐ぶん【×駢文】

四六文しろくぶん

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「駢文」の意味・わかりやすい解説

駢文
べんぶん

対句によって構成された中国文学特有の美文の一形式。二頭立ての馬が並んでいるように均整美がある文章という意味で駢文とよぶし、一対の夫婦のようでもあるということから駢儷文(べんれいぶん)(儷は夫婦)、駢儷体ともよぶ。また四字句六字句を多く用いることから四六文(しろくぶん)、四六駢儷文ともよぶ。魏(ぎ)のころから発達しだし、六朝(りくちょう)末ごろ頂点に達し、唐の中ごろまで盛行した。そのころ古文復興が叫ばれだしたので、ようやく衰えだした。六朝末ごろは駢文を今体(きんたい)、今文(きんぶん)、筆(ひつ)ともよんで、あらゆる文章が駢文形式であって、賦(ふ)さえも駢文に近くなっていた。そのころは実用文としての価値をもっていたが、唐以後は形式美だけにとらわれて実用文としての生命は失われた。

 極盛期梁(りょう)、陳のころの駢文をみると、対句の仕組みは複雑のうえに、音律を整え、故事のある語句を頻用している。陳の徐陵(じょりょう)(507―583)の『玉台新詠(ぎょくだいしんえい)』の序は典型的駢文であり、リズムのうえからみると、

は下線・点の部分が相対し、その一語一語は同一品詞である。ここでは句を隔てて対する隔句対という型である。当時は上四字、下六字の型が多い。平仄(ひょうそく)からみると、句脚の「篋」は仄、「花」は平、「篇」は平、「樹」は仄で、平仄を互い違いにしている。韻(いん)は踏まない。また故事を用いることが多いため、教養がなければつくれない。したがって参考となる類書の発達を促した。日本の『古事記』序や、空海の漢詩文集『性霊集(しょうりょうしゅう)』などは駢文の影響を受けている。

[小尾郊一]

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百科事典マイペディア 「駢文」の意味・わかりやすい解説

駢文【べんぶん】

中国の韻文の一種。四六駢儷文(しろくべんれいぶん)とも。一編全体がほとんど対句で,四字句と六字句を中心に,平仄(ひょうそく)を整え,典拠を多用する。後漢末から発達し,六朝の梁・陳のころ極盛に達し,唐代に韓愈ら〈古文派〉に強く否定されたが,明末清初に復興した。韻文だが,抒情作品は少なく,書簡や論説に用いられた。
→関連項目汪中菅家文草五山文学述学六朝文化李商隠

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「駢文」の意味・わかりやすい解説

駢文
べんぶん
Pian-wen

中国の文章の一体。駢儷文 (べんれいぶん) ともいう。「駢」は「並んだ2頭の馬」,「儷」も「並ぶ」意で,全文がほとんど対句で構成されている特徴をいう。また1句が4字および6字から成ることが多いので,四六文,四六駢儷体ともいう。六朝時代の初めに発達し,六朝末が最も盛んであった。中唐の頃古文復興運動が起り,宋代にそれが文章の主流となるに及んで衰えた。しかし美文の一形式として清朝には再び流行して古文と肩を並べるようになった。対句に技巧を凝らすほか,平仄 (ひょうそく) を整え,また典故を多用し,脚韻はふまないが,いわば韻文と散文の中間に属する文体といえる。日本でもつくられ,『古事記』の序文はその一例である。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「駢文」の解説

駢文(べんぶん)

四六駢儷体(しろくべんれいたい)

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