香川(読み)かがわ

精選版 日本国語大辞典 「香川」の意味・読み・例文・類語

かがわ かがは【香川】

[一] 香川県中部の郡名。古くから讚岐国の一郡として成立。中世、香東(こうとう)、香西(こうさい)の二郡に分かれたことがある。大正一二年(一九二三)に郡制が廃止される前の郡役所所在地は高松市。
[二] 「かがわけん(香川県)」の略。

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デジタル大辞泉 「香川」の意味・読み・例文・類語

かがわ〔かがは〕【香川】

四国地方北東部の県。もとの讃岐さぬきにあたる。県庁所在地高松市。人口99.6万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「香川」の意味・わかりやすい解説

香川[県] (かがわ)

基本情報
面積=1876.53km2(全国47位) 
人口(2010)=99万5842人(全国40位) 
人口密度(2010)=530.7人/km2(全国11位) 
市町村(2011.10)=8市9町0村 
県庁所在地=高松市(人口=41万9429人) 
県花=オリーブ 
県木=オリーブ 
県鳥=ホトトギス

四国の北東部に突出した讃岐半島全域と備讃諸島の大部分の島々からなる県。南側の大部分は徳島県,西側の一部は愛媛県に接する。

近世までの讃岐国にあたり,幕末には高松藩,丸亀藩,多度津藩と小豆(しようど)島など島嶼部(とうしよぶ)に天領があった。1868年(明治1)天領が,71年多度津藩が倉敷県の管轄となり,同年の廃藩置県をへて讃岐国一円が香川県となったが,73年名東(みようとう)県に合併,75年再置の後,76年愛媛県に合併され,88年三たび香川県が置かれた。

香川県は面積では四国で1番小さい県であるが,文化交流の幹線ルートである瀬戸内海に面し,讃岐平野を擁し,また地理的に畿内に近いことから,先史・古代の遺跡は4県中最も多い。また,瀬戸大橋架橋工事に伴う調査で,橋脚となる櫃石島などからおびただしい埋蔵文化財が出土している。

 先土器文化は国分台(こくぶだい)遺跡(高松市)が知られている。この遺跡は白峰山中標高約400mの大地上にあり,ナイフ形石器のほか,おびただしい石片の散布がみられることから石器原材製作址とみられている。また瀬戸内海の岡山県境に浮かぶ井島にある井島遺跡(香川県直島町)は先土器文化末(細石器)から縄文早期の遺物を出土する。縄文文化の遺跡はあまり多くないが,早期の無文土器や押型文土器を出土した小蔦島(こつたじま)遺跡(三豊市)は学史上著名である。

 弥生前期の遺跡は讃岐平野に分布するが,中期になると東は東かがわ市から西は三豊市,観音寺市に至る全県下でみられるようになり,とくに高地性集落がめだってくる。たとえば紫雲出(しうで)遺跡(三豊市)は,紫雲出山頂(352m)に貝塚や住居址らしい列石などが広がり,出土する石鏃の分析などから,弥生中期中葉から末にかけてのかなり広い地域における軍事的緊張関係を反映した防御的性格の遺跡と考えられている。後期にもこの傾向は続くが,再び水田耕作に適した平野部に広く生活圏を広げるようになる。本県はまた青銅器の出土も多い。ことに銅剣・銅鉾と銅鐸とがともに出土し,両者の分布圏の重なる地域であることを示している。銅剣では平形銅剣が,銅鉾では広鋒銅鉾が最も多く,銅鐸では袈裟襷(けさだすき)文が多い。安田遺跡(小豆郡小豆島町)では,袈裟襷文銅鐸1個と平形銅剣2本とが相接して出土している。また,森弘遺跡(さぬき市)では,巴形(ともえがた)銅器が8個まとまって1ヵ所から発見されている。

 古墳は平野部の台地上に好んでつくられている。なかでも石清尾山(いわせおやま)古墳群(高松市)は4世紀代の積石塚群として有名。双方中円墳の猫塚,鏡塚,前方後円墳の姫塚,石船塚,北大塚,稲荷山姫塚のほか,円墳,方墳状の小積石塚など総数30基前後から成る。このほか,全長145m,後円部径73mの県下最大の茶臼山古墳(さぬき市)や3個の割竹形石棺と豊富な副葬品をもつ快天山(かいてんやま)古墳(丸亀市)などがある。

 喜兵衛島製塩遺跡群(香川郡直島町)は6~7世紀ころの土器製塩址として重要である。ここでは製塩作業に使われた炉址や師楽式と呼ばれる土器などが広い範囲にわたって出土している。

 歴史時代では,讃岐国分寺址(高松市)をはじめ,県下各地に白鳳期から天平期にかけての寺院址が31も分布しており,四国他県に比し著しく多い。
讃岐国

香川県の地形は南から北へ,山地部,平野部,島嶼部の三つに大きく分けられる。南部の山地は阿波と讃岐の境をなす讃岐山脈で,早壮年期のおだやかな山容を示し,最高峰の竜王山(1060m)を中心に大滝山,雲辺寺山などの高峰が東西に並ぶ。この山脈は和泉層群という水成岩からなる地塁で,徳島県側の南麓には中央構造線の大断層が横切っている。中央構造線より北側の山々は,花コウ岩を主体にした内帯に属するが,讃岐山脈は外帯の性格を帯びている。この山脈には自然が今もよく残り,県民いこいの森,さらに最近,県立自然公園にも指定され,高冷地蔬菜などの栽培も盛んである。平野部は讃岐山脈から流出する河川によって複合扇状地状三角州が形成され,讃岐平野と総称されるが,おもなものに東から香東川による高松平野,土器川による丸亀平野財田川による三豊(みとよ)平野がある。平野部で目だつ屋島飯野山のような開析溶岩台地は日本では香川県のみにみられる。屋島は安山岩が頂上に広く残り,下部は花コウ岩からなるメサ型溶岩台地で,五色台(高松市と坂出市の境)や小豆島の美しの原も同じものだが,こちらは面積が特に広い。いずれも観光地化が進んでいる。飯野山は山頂付近に残った安山岩が狭く,富士山型をしていて讃岐富士と呼ばれるが,火山と違って火口もなくビュートである。平野部には数多くの富士山型ビュートが点在する。採石によって山容をとどめないものもあるが,大半は緑に覆われ,山麓が果樹園などに利用されている。島嶼部は備讃瀬戸に点在する小豆島,豊島,直島など備讃諸島の大部分を占める島々からなり,花コウ岩性のものと溶岩台地性のものが混在している。香川県では石材の採掘が古くから盛んで,小豆島,五剣山麓などでの花コウ岩の採掘が盛んである。五色台など一部台地ではサヌカイトカンカン石,讃岐石)と呼ばれる安山岩が石器材料などとして古代から有名で,最近は打楽器としても知られる。

 気候は瀬戸内式で,日照時間は毎年全国上位にあり,雨量は1300mm前後と少ない。古くから日照りの害が深刻で,しばしば激しい水争いがくりかえされてきた。大宝年間(701-704)に創設された満濃池をはじめ,約1万6000といわれる溜池に加えて,第2次大戦後数多くのダムが造られてきたが十分とはいえず,1973年にも高松砂漠といわれるほどの極度の水不足となった。その翌年,徳島県吉野川から引水した香川用水が一部通水開始され,県の長い水不足の歴史に一応終止符がうたれた。瀬戸内海の島々も県本土から直接送水される島が多くなった。台風は四国山地を越えるので勢力が弱まり,高潮も鳴門海峡で妨げられるため,自然災害は少ない。しかし,1976年の台風17号による小豆島での災害や,春先から初夏にかけて多い濃霧による船舶事故が多く,国鉄宇高連絡船の紫雲丸事故(1955)などを契機に,本州四国連絡橋瀬戸大橋架橋運動がおこった。

古来讃岐三白といわれた砂糖,綿,塩の三大産物のうち,砂糖と綿花は輸入品の出現で衰退し,塩だけが明治以降も発達して日本一の塩所となった。ところが,1971年日本中の塩田が廃止され,工場式のイオン交換樹脂膜製塩法に切り替えられて,香川県も1社1工場に整理統合された。966haもの塩田跡地は,三つのゴルフ場,住宅団地,自動車学校などに転用されている。仁尾町の塩田跡には81年太陽熱発電実験施設が作られ,太陽博覧会も行われたが,84年実験終了とともに解体され,一部遊園地に活用されている。また宇多津塩田跡地には新宇多津町の建設が進んでいる。一方,海岸の埋立てによる近代工業化も顕著である。1964年から始められた坂出市沖の番の州埋立事業は,国による備讃瀬戸航路の掘削事業から出る海底砂礫(されき)を利用して619haの埋立地を造成し,造船工場,コークス工場,アルミ建材加工工場,精油工場,火力発電所などの大工場が1960年代後半に集中的に立地した。続いて丸亀市沖の埋立ても265haに達し,多数の中クラスの工場群が進出している。さらに多度津町,詫間町(現,三豊市),志度町(現,さぬき市)などの埋立地へも工場進出が続き,高度成長末期に香川県も急速に近代工業化が進んだ。

 従来からの地場産業のうち,白鳥町(現,東かがわ市)を中心とした東讃地区の手袋工業は,スポーツ用も含めて年産614億円(1993)で,全国の約90%を占めている。これは明治中ごろに先覚者両児舜礼(ふたごしゆんれい)の力により農村余剰労働力を活用して,成功したものであるが,最近アジアの発展途上国の追上げで苦境にあり,逆に台湾や中国などへ工場を進出しているものが多い。同じく明治以来の伝統をもつ大川町(現,さぬき市)のボタン工業と志度町の桐下駄製造は振るわない。高松市を中心とした讃岐漆器は幕末に玉楮象谷(たまかじぞうこく)によって創始され,高松藩の保護下に発展,その伝統を生かした高級品志向で着実な地歩をえ,1976年伝統的工芸品の国指定を受けた。象谷塗,きんま,後藤塗など特殊技法を駆使し,人間国宝を何人も生み出している。一方,中世から手すき和紙の伝統をもち,大正時代から近代製紙工場になった高松の製紙業は不振である。丸亀市のうちわ工業は日本一の生産高を誇り,年産31億円(1993)で全国の約90%を占める。17世紀はじめから,金毘羅(こんぴら)参りのみやげとして発達した長い歴史をもつが,クーラーなどに押され,最近は後継者も数少ないが,伝統的工芸品の指定も受け,再活性化に努力している。観音寺市中心のかまぼこなど魚肉加工業も江戸時代からの伝統をもち,地道な発展をしている。特に冷凍食品工業に進出して成功し,全国的販路をえているものもある。江戸時代から発展,特に第2次大戦前から大規模化した小豆島のしょうゆ工業も千葉のしょうゆに押されて不振だが,つくだ煮工業で再起し,また400年の長い歴史をもつ小豆島そうめんは好調である。農業では,かつての米麦中心から転換して丸亀平野のタマネギ,三豊平野のレタス,東讃のハウスイチゴ,小豆島の電照菊,塩江町(現,高松市)をはじめとする企業的花卉栽培など多様である。香川県は農協活動が活発で,特に東讃の大川農協はカントリーエレベーターや大型機械の早期導入,請負耕作などの活動で全国的に知られ,中でも長尾町(現,さぬき市)の農産加工コンビナートは,管内農家と契約栽培,契約飼育をして一貫した食品加工コンビナートをつくり,農村余剰労働力を活用している。

1910年宇高連絡船が開かれて高松は四国の玄関都市となったが,実際に四国3県都と高松が国鉄で結ばれたのは予讃本線の松山市までが1927年,高徳本線の徳島市までと土讃本線の高知市までが35年である。また高松市へ国の出先機関や大手民間企業の支店群が現在のように集中しはじめたのは第2次大戦後のことである。山陽新幹線が72年岡山駅まで完成し,高松~東京間の所要時間は一気に1/3に近い6時間に短縮された。しかし四国の離島性は変わらず,1970年代に本州四国連絡橋構想が具体化し,その一ルートとして78年児島~坂出ルートの着工式があり,88年に瀬戸大橋が開通した。それに伴って内陸部の四国横断・縦貫自動車道の建設も進み,現在,高松と高知・松山両県都と結ばれている。89年,空港建設も実現した。人口は1965年の90万0845人を最低に,番の州の工業地域の完成後順調に回復し,80年12月県史上はじめて100万人をこえた。その増加分は5都市およびその周辺町に集中,特に高松市,坂出市,丸亀市の近郊町の人口増加が著しく,高松・丸亀両市への合併も進んだ。

江戸時代の支配区分のなごりで,古くからほぼ土器川を境に東讃(高松藩),西讃(丸亀藩)に区分されてきたが,近年は瀬戸大橋の具体化に伴って,丸亀平野を中心に中讃の語が使われるようになった。公的には丸亀・善通寺両市を中心とする中讃地区広域市町圏が設定されている。

(1)東讃地区 高松平野および備讃諸島東部にある小豆島,豊島,直島諸島からなる地区で,高松市,さぬき市,東かがわ市と香川,木田,小豆の各郡が含まれる。高松藩領は西の丸亀平 野南部まで伸びていたため,現在の東讃はその藩域よりずっと狭い。また小豆島や直島諸島は天領などで高松藩とはあまり関係なく,明治維新後県内に含まれた。明治初期に県庁のおかれた高松市は広域中心都市,中枢管理都市,支店都市などと呼ばれ,ビルが林立する近代都市で,第3次産業が盛んである。高松市を中心に発達する伝統産業の漆器は高級品を少数生産する傾向が強い。かつての大川,木田,香川3郡は讃岐三白の一つ砂糖の産で知られ,19世紀には3800haのサトウキビ畑があり,讃岐中部の塩とともに高松藩の最大の財源であったが,現在は和菓子の原料和三盆糖として細々と生産されているにすぎない。かわって旧白鳥町を中心とするこの地域の手袋工業が日本一の生産をあげている。直島には大正初期からの三菱の銅精錬工場がある。寒霞渓,銚子渓など名所が多い小豆島では《二十四の瞳》の映画化以来観光客が増え,明治末に導入されたオリーブが,生産額は多くないが観光産業と結びついて特産品となっており,また県花・県木に指定されている。

(2)中讃地区 丸亀平野や五色台などの台地,塩飽(しわく)諸島東部からなり,行政的には坂出市,丸亀市,善通寺市と綾歌・仲多度両郡が含まれる。金刀比羅宮(ことひらぐう)のある琴平町を含み,江戸時代は高松・丸亀両藩にまたがる地区で,丸亀,多度津は金毘羅参りの上陸地として,また坂出,宇多津は塩の町として栄えた。坂出市番の州の工業化が進んで以来,県の中心的工業地帯となったが,瀬戸大橋架橋後は,最も橋の効果が大きい地区で,四国の入口となり,かつ岡山県の日常生活圏にも入っている。

(3)西讃地区 広義では中讃を含むが,狭義では大麻(おおさ)山塊から西の三豊平野一帯の三豊郡(現在は観音寺・三豊の2市)をいい,まとまった地域をなす。江戸時代は三白の一つ綿花の産が多く,丸亀藩の財源として保護奨励された。現在も豊浜地区に製綿工業が盛んである。讃岐の中では開発がおくれ,特に大野原地区は讃岐最大の町人請負新田の成功例として名高い。17世紀中ごろ,近江商人平田与左衛門により数百町歩の原野が開かれ,現在では豊かな農業地帯となっている。
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香川(旧町) (かがわ)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「香川」の意味・わかりやすい解説

香川
かがわ

香川県中部、香川郡にあった旧町名(香川町(ちょう))。現在は高松市(たかまつし)の南西部を占める一地区。1955年(昭和30)大野、浅野、川東(かわひがし)の3村が合併して成立。2006年(平成18)高松市に編入。花崗(かこう)岩の山地と香東(こうとう)川の形成した扇状地、河岸段丘に位置する農村であるが、近年高松市郊外の住宅地として急速に発展する。国道193号が通る。水稲、麦の栽培のほか、養鶏なども行われている。竜満(りゅうまん)池、新池、船岡池などの溜池(ためいけ)も多く、新池神社の奇祭「ひょうげ祭」は新池の築造に功績のあった高松藩士矢延平六叶次(やのべへいろくやすつぐ)の徳を偲ぶとともに、水の恵みに感謝して豊作を祝う行事として始まった。このほか農村歌舞伎(かぶき)(地芝居)の祇園(ぎおん)座、讃岐(さぬき)百景の一つ竜桜公園、古くからの雨乞(あまご)い祈願所である童洞淵(どうどうのふち)などがある。1989年、隣接する高松市香南町(こうなんちょう)地区に高松空港が開港、都市化が加速している。

[新見 治]

『『香川町史』(1970・香川町)』『『香川町誌』(1993・香川町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「香川」の意味・わかりやすい解説

香川
かがわ

香川県中部,高松市中西部の旧町域。高松平野に位置し,香東川中流東岸域を占める。 1955年大野村,浅野村,川東村の3村が合体して町制。 2006年高松市に編入。南部は洪積台地,北部は沖積地で,ため池が点在し米,ムギ,野菜,花卉の栽培や畜産が行なわれる。岩崎橋下流の香東川河床に花崗岩類と三豊層群 (鮮新世) の不整合面,河崖に三豊層群と沖積礫層との不整合面が露出し,地質学上注目される。新池神社のひょうげ祭が知られている。農村歌舞伎の祇園座が文化財として残る。

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世界大百科事典(旧版)内の香川の言及

【讃岐国】より

…讃州。現在の香川県。
[古代]
 南海道に属する上国(《延喜式》)。…

※「香川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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