精選版 日本国語大辞典 「頼三樹三郎」の意味・読み・例文・類語
らい‐みきさぶろう【頼三樹三郎】
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幕末の尊攘(そんじょう)派の志士。名は醇(じゅん)、号は鴨崖(おうがい)。文政(ぶんせい)8年5月26日、頼山陽の子として京都に生まれる。16歳のとき大坂の後藤松陰(しょういん)に師事、かたわら篠崎小竹(しのざきしょうちく)に学ぶ。1843年(天保14)羽倉簡堂(はくらかんどう)に伴われて江戸に行き昌平坂(しょうへいざか)学問所に学ぶ。上野不忍池(しのばずのいけ)の弁天堂の石灯を倒したかどで46年(弘化3)退寮を命じられたといわれる。同年東北漫遊の旅に出、49年(嘉永2)帰京。家塾を守るかたわら梁川星巌(やながわせいがん)ら尊攘の士と交わり、58年(安政5)水戸藩への攘夷勅諚(じょういちょくじょう)降下を運動、大獄が起こると9月に連座して捕らえられ、翌年江戸評定所(ひょうじょうしょ)で訊問(じんもん)ののち、10月7日国家重大の政事向きを論じ天下を擾乱(じょうらん)させたとして死罪となった。大橋訥庵(とつあん)が回向(えこう)院(東京都荒川区)に遺骸(いがい)を葬り、62年(文久2)死罪御免(ごめん)となってのち松陰神社(世田谷(せたがや)区)境内に改葬された。
[頼 祺一]
『木崎好尚著『頼三樹伝』(1943・今日の問題社)』
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(沼田哲)
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1825.5.26~59.10.7
幕末期の尊攘派志士。京都生れ。儒者頼山陽の三男。1840年(天保11)以降大坂・江戸に遊学。さらに蝦夷地(えぞち)を旅行して49年(嘉永2)に帰京。家塾を開き多くの志士と交わる。55年(安政2)母の死後尊攘運動に奔走。梁川星巌(やながわせいがん)・梅田雲浜(うんぴん)らと親交,将軍継嗣問題では一橋派にくみして公卿間に入説した。58年安政の大獄で捕らえられ,翌年江戸に檻送され小塚原で斬刑に処された。
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