農家(読み)のうか

精選版 日本国語大辞典 「農家」の意味・読み・例文・類語

のう‐か【農家】

〘名〙
① 農業を生計の基本とする家。農戸。
※浮世草子・近代艷隠者(1686)四「一村のかまへの濃家(ノフカ)ありける」 〔朱熹‐残臘詩〕
② 中国、戦国時代諸子百家の一つ。農政に関することを説くもの。〔漢書‐芸文志

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デジタル大辞泉 「農家」の意味・読み・例文・類語

のう‐か【農家】

農業により生計を立てている世帯。また、その家屋。「専業農家
中国、戦国時代における諸子百家の一。農耕につとめ、衣食を充足することを主張した。
[類語]農民百姓農夫農婦豪農富農貧農精農篤農自作農小作農田夫水呑み百姓

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改訂新版 世界大百科事典 「農家」の意味・わかりやすい解説

農家 (のうか)

家として農業を営んでいる世帯をいう。日本の統計上の定義は,第2次大戦前は〈生業として農業を営むもの〉といった程度の漠然としたものであったが,1950年の農林業センサスで,はじめてはっきりした規定が与えられた。すなわち,東日本(千葉,埼玉,群馬,富山以東)では1反(10a),西日本(東京・山梨・長野・石川以西)では5畝(5a)以上の耕地を経営する世帯を農家と定めた。ただし,経営耕地面積がそれ以下またはまったくないものでも,ある程度以上の農産物販売額のあった世帯は,農家にふくめられている。農家戸数は,明治以降ほぼ550万戸ぐらいであったと考えられているが,第2次大戦により工業部門が破壊された結果,多くの人口が農村に還流して,1950年には618万戸に増加した。その後しだいに減少し,80年には466万戸となっている。

 90年の農林業センサスから農家の定義が変更され,全国一律に経営耕地面積10a以上,または1年間の農産物販売金額が15万円以上の世帯とされた。この規定による農家数は344万戸(1995)である。

農家はいろいろな観点から分類されるが,最も基本的なのは,経営耕地面積による分類である。全国平均の1戸当り経営耕地面積はほぼ1haである。1960年代以前には,日本の農業経営はほとんどが稲作を中心としており,経営耕地面積の大小が,すなわち経営の規模であると考えてさしつかえなかった。しかしその後,施設園芸や畜産などの発展にともない,耕地面積は小さくても経営的には大きい農家が現れてきたので,耕地面積規模による分類の意義は若干低下した。その他の農家分類としては,専業・兼業別分類(専業農家・兼業農家),経営組織別分類(単一経営複合経営)などがある。農地改革によって地主制が消滅する以前は,経営耕地の所有に関する自作・小作別分類が最も重要であったが,現在ではその意義は少ない。むしろ経営の内容・作目に注目した経営組織別分類が,経営の多様化にともなって,重要性を高めている。
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農家 (のうか)
Nóng jiā

中国古代の諸子百家に数えられた農政学派。農業神神農を奉じた戦国期の許行(きよこう)や陳相(ちんしよう)は,生産労働を重んじ国民皆農の〈君民並耕〉を説き,農業保護の物価統制策を主張した。孟子は精神・肉体労働の分業を,治者・被治者の関係でとらえ,この耕農優先説を君臣の本分を乱す逆コースと非難した。一方,君権強化の農民保護論も,后稷(こうしよく)を始祖と仰ぐ一派によって首唱され(《呂氏春秋》上農など),統一国家の農政を準備した。《漢書》芸文志の諸子略〈農家〉にみえる《神農十四篇》《野老十七篇》などは戦国期の重農学派の書であろうが,秦・漢帝国の出現後は,授時(国家による農事暦の時令・月令の公布)の思想が行われ,前漢の趙過の代田法や《氾勝之(はんしようし)書》のような勧農政策からの新農業技術(区種法)は内容を伝存したが,先秦諸子の農家思想は消滅した。
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百科事典マイペディア 「農家」の意味・わかりやすい解説

農家【のうか】

家として農業を営んでいる世帯。日本では第2次大戦前には〈生業として農業を営むもの〉を指したが,1950年の農林業センサス以降,東日本10a・西日本5a以上の経営か農産物販売額のある世帯をいう。農業の多様化で1990年センサスから10a以上か年15万円以上販売の世帯となり,うち30a以上か販売額50万円以上を販売農家(1998年252万戸),それ以外を自給的農家(同77万戸)に分けた。また農外からの所得のあるものを兼業農家,うち農業が主を第1種(1998年に販売農家の12%),農外が主を第2種(同51%),兼業者のいないのが専業農家(同13%)である。経営面積の全国平均は1.6haであるが,園芸・畜産などの高所得農家ではより小規模。農家戸数は明治以降ほぼ550万戸,第2次大戦後に617万戸まで増えたが,経済成長につれて減少し,1998年は329万戸。このほか1993年の農業経営基盤強化促進法(構造・経営法)にもとづき,農業の中心的な担い手として市町村が決める認定農家がある。→農業人口
→関連項目兼業農家専業農家農業

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知恵蔵 「農家」の解説

農家

農家の統計上の定義は、1990年以降の農業センサス(農水省が5年に1回行っている全国調査)では、10a以上の経営、または年間の農産物販売金額が15万円以上の世帯。このうち、30a以上または販売金額50万円以上の農家を販売農家、それ以外を自給的農家という。2005年センサスの販売農家数は195万3000戸(一部調査対象外地区を除く)で、00年センサスの233万7000戸から大幅に減少。しかも販売農家の基幹的農業従事者は41%が70歳以上で、農業が持続できるかどうかの瀬戸際にきている。さらに、農業所得と農業労働力による主業農家と副業的農家という区分もある。主業農家は、農家所得の半分以上が農業所得で、1年間に60日以上農業に従事する65歳未満の者がいる農家のこと。

(池上甲一 近畿大学農学部教授 / 2007年)

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普及版 字通 「農家」の読み・字形・画数・意味

【農家】のうか

百姓の家。宋・陸游〔山西の村に遊ぶ〕詩 笑ふこと(なか)れ、農家臘酒(らふしゆ)(年末に醸す酒)の渾(にご)るを 豐年、客を留めて、豚(けいとん)足る

字通「農」の項目を見る

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「農家」の解説

農家(のうか)

諸子百家の一つ。戦国時代初期に山東の許行(きょこう)が神農(しんのう)の教えとして,一種の平等説を唱えた。農民の立場に立つ点で他の諸家にない特色を持ったが,後継者はなく消滅した。

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農業関連用語 「農家」の解説

農家

平成12年2月1日現在(沖縄県にあっては、平成11年12月1日現在)の経営耕地面積が10a以上の農業を営む世帯又は経営耕地面積が10a未満であっても調査期日前1年間の農産物販売金額が15万円以上あった世帯(例外規定農家)をいいます。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「農家」の意味・わかりやすい解説

農家
のうか
Nong-jia; Nung-chia

中国の戦国,秦・漢時代に農業を重視すべきであると主張した学派。諸子百家の一つ。農業経済や技術について追究した一派で,許行が代表者であるが,先秦時代については不明な点が多い。

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旺文社世界史事典 三訂版 「農家」の解説

農家
のうか

諸子百家の1つで,農業を重視すべきことを説く学派
『孟子』の中にみえる許行 (きよこう) はその代表者で,富の均等や商業利益の否定とともに,君臣平等に耕作し,自給自足の生活をすることを説いた。

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世界大百科事典(旧版)内の農家の言及

【親子契約】より

…農家における経営移譲と親族間扶養に関する父子契約ないし家族協定。日本の農村では,高度成長中期にあたる1960年代の中ごろから,市町村・府県段階の卓抜したリーダーがいて,しかも多くの農家がその指導に呼応する特定の地域で,農家世帯の中に,世代交代を円滑に行い,家族農業経営に新しい活力を付与しようとする動きがみられる。…

【二階】より

…このように二階座敷が普及し始めると,階段もそれまでの急勾配のものからゆるい勾配のものに改められ,町家等では階段の側面に引出しを組みこんだ箱階段も採用された。農家もほとんどは平屋であった。ただし,白川郷の農家のように簣の子(すのこ)を用いて屋根裏に2ないし3段の床を設けるものがあり,江戸時代後期になると群馬県その他の養蚕地帯には,土間の上だけに中二階を設けたり総二階にして,それらを養蚕のために使うものが現れた。…

【農業】より

…それをどう打開し,解決していくかが,先進資本主義国,社会主義国,発展途上国のすべてを含めて,世界的・国際的な課題とされ始めている。食糧問題
【日本の農業】
 日本の農業は,約450万戸の農家が約540万haの耕地を利用して営んでいるが(1980年代初頭),その基本的な特徴は以下のような点にある。第1は物的ないし技術的な特徴であって,(1)狭小な農用地(耕地)を利用して,稲作中心の水田灌漑農業が発達してきたことである。…

【春秋戦国時代】より

…老子や荘子の考えは,道を根本として構成されるので,道家とよぶ。このほか論理学を説く名家,陰陽論を説く陰陽家,上述の蘇秦・張儀のごとく外交術を説く縦横家,農業技術や農民思想を説く農家など多くの流派の思想家が活躍し,互いに影響しあい,中国史上最も自由に思想が説かれた時代であり,これらを諸子百家と総称するが,後世に大きな影響を与えたのは儒家と道家であり,法家は思想として表面にあらわれなかったが,儒家の徳をたてまえとする政治を支える技術としてつねに利用された。 このように多様な思想が自由に展開したのは,人間精神の躍動を示すものであり,これは芸術にもあらわれた。…

【農学】より

…【川田 信一郎】
[中国]
 中国における農学は,戦国時代の前4世紀ころに勃興してくる。当時,諸子百家の中に農家と呼ばれる集団がいて,とりわけ顕著な動きを示していたのは,神農を農業神としてあがめる南方の楚出身の許行一派と,周の始祖后稷(こうしよく)を農業神としてあがめる中原の農家集団とであった。前者は商業利潤を抑制して物価を安定させ,支配者たる者も農業生産に従事すべきであるという〈君民並耕説〉を唱え,為政者から顰蹙(ひんしゆく)を買った。…

※「農家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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