財産権の不可侵(読み)ざいさんけんのふかしん

改訂新版 世界大百科事典 「財産権の不可侵」の意味・わかりやすい解説

財産権の不可侵 (ざいさんけんのふかしん)

所有権を中心とする財産権を,公権力といえども侵害しえないという原則。市民革命期の代表的な人権宣言である1789年のフランス人権宣言は,所有権を,自由,安全および圧制への抵抗と並んで自然権として位置づけ(2条),さらに,〈侵すことのできない神聖な権利〉(17条)として認めている。市民革命期においては,財産権は自由かつ独立の人格の存在を可能ならしめる経済的基盤を構成するものとして,その人権としての重要性が強調されたのである。これに対して,20世紀の諸憲法は,私有財産制によってもたらされた弊害に対処するために,一方では,1919年のドイツのワイマール憲法153条の〈所有権は,義務を伴う。その行使は,同時に公共の福祉に役立つべきである〉という規定に典型的にみられるように,所有権の義務性を強調するようになり,他方では,1918年のソビエトロシアの〈勤労・被搾取人民の権利宣言〉をはじめとする社会主義憲法の権利宣言においては,土地その他の生産手段私有を廃止するに至ったのである。

 日本国憲法は,〈財産権は,これを侵してはならない〉(29条1項)として財産権の不可侵性を認めると同時に,〈財産権の内容は,公共の福祉に適合するやうに,法律でこれを定める〉(同条2項)として,福祉国家的ないし社会国家的観点からの〈公共の福祉〉による財産権の制限を認めている。日本国憲法が財産権の不可侵性を認めている意味は次の2点に求めることができる。第1に,人が人間たるに値する生活を営むうえに必要不可欠な財産については,個人の人格の延長として侵してはならないということである。すなわち,人が自己の労働によって獲得し,自己または家族の生活または労働の用に供される財産については,自由にこれを使用し,収益し,処分することができるということである。第2に,憲法が,私有財産制を制度として保障しており,私有財産制を根本的に否定することを認めていないことである。生産手段の私有を否定する社会主義憲法とはこの点について異なっているのである。財産権の内容は,〈公共の福祉〉に適合するように法律によって定められる。〈公共の福祉〉の内容は,災害防止のための建築基準法に基づく建築制限のような財産権の内在的制約のほかに,社会国家的観点からの政策的制限を含むものである。政策的な制限の例としては,社会的・経済的弱者たる借地人・借家人保護のための借地借家法や,一般消費者保護のための独占禁止法による財産権の制限のほか,土地の計画的・有効的利用や自然保護を図るための,都市計画法による開発規制,自然公園法や自然環境保全法による土地利用規制などがある。

 財産権が神聖不可侵と考えられていた市民革命期においても,国家が鉄道や道路の建設のような公共の利益に供するために,正当な補償を条件に私人の財産を強制的に奪うことが認められていた(1789年フランス人権宣言17条参照)。日本国憲法も,私有財産を,〈正当な補償〉の下に,〈公共のために用ひる〉ことができることを規定している(29条3項)。正当な補償の内容については,完全補償説と相当補償説との対立があるが,公共目的の性質にかんがみ,社会国家的基準に基づいて定められる妥当な,または合理的な補償であればよく,必ずしも完全な補償がなくともよいとする,相当補償説が一般に支持されている。しかし最近の学説では,通常の収用の場合には,完全補償説をとり,これに対して,農地改革による地主への補償や重要産業の国有化による株主への補償のように,社会改革によって有産者の財産権を収用する場合には,相当な補償でもよいと解する考え方が有力に主張されている。また,農民の田畑や商店主の店舗など所有者の生活手段を構成する財産を収用する場合には,金銭による補償では不十分であり,農民には代替農地のように収用前の生活を再現しうる生活補償が必要であるとされてきている。
私権 →私有財産制 →所有権 →損失補償
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「財産権の不可侵」の意味・わかりやすい解説

財産権の不可侵
ざいさんけんのふかしん

公権力といえども私人の財産権を侵せないという原則。「所有権の不可侵」と同じに用いる場合が多い(たとえば大日本帝国憲法27条)。このような財産権あるいは所有権の保障は、近代立憲国家の憲法・人権宣言の一特徴をなしている。たとえば、バージニアの権利章典(1776)では、これを生来的権利として社会契約によっても奪いえぬものと規定し、フランスの人権宣言(1789)では「神聖不可侵」の権利と規定して、それまでの不安定な財産権観を覆すことに寄与している。これは、具体的には、公共目的から行う個人財産の収用に対する補償の不可欠性を確認させ、当時台頭しつつあった市民階級に活躍の場を提供した。しかし、このような財産権観は富の偏在を助長することにもなり、その是正が求められたために、現在では、もはや財産権が絶対不可侵ではなく、社会的利用責任を伴うと考えられるに至っている(財産権の社会化・相対化)。ワイマール憲法(1919)の「所有権は義務を伴う」との規定は、このことの象徴的表現である。現行日本国憲法(29条)が「財産権は、これを侵してはならない」と規定しながら、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」と規定したのも同じ趣旨にほかならない。

 現行憲法下の財産権の内容について、通説は、物権・債権・無体財産権のほか、水利権のような公法上のものであっても、それが財産的価値をもつ限り保障の対象になると主張する。しかし、その内容は法律にゆだねられ、政策に左右されるため、現実に保障される財産は広狭いずれにも変化する。したがって、現行憲法の規定は資本主義をとるとの宣言規定であるととらえる人が多い(制度的保障論)。もっとも、個人生活上の必要財産については、同規定を具体的な財産自体に対する保障であると理解しなければ、個人生活があまりに安定を欠いてしまうので、これに対し「不可侵」を説く意義は相変わらずあるといわれている。

[佐々木髙雄]

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