許地山(読み)きょちさん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「許地山」の意味・わかりやすい解説

許地山
きょちさん / シュイディシャン
(1894―1941)

中国の小説家。本名許賛(きょさんこん)、筆名落華生(らっかせい)。台湾の台南に生まれ、福建(ふっけん/フーチエン)、広東(カントン)で育つ。燕京(えんきょう)大学在学中、五・四運動(1919)に参加。翌年、文学研究会発起人に名を連ね、『小説月報』に『命命鳥』(1921)、『巣をつくる蜘蛛(くも)』(1922)などの小説や散文を発表した。その後アメリカ、イギリスに留学、帰国後は燕京大学のちに香港(ホンコン)大学で教鞭(きょうべん)をとり、道教・仏教の研究に専念。このころは中国の伝統文化の発掘を試みて西欧化に消極的であったが、日中戦争勃発(ぼっぱつ)後は、国民政府の腐敗を眼(め)にして、西欧文化吸収の必要性を説いた。香港で抗日文化運動の急先鋒(きゅうせんぽう)として活躍し始めたやさき、心臓病で急逝。初期の作品は、仏教的厭世(えんせい)観と南国情緒に富む独特の作風で知られるが、かたくなな自我を感じさせる面もある。後期の小説に『帰途』(1931)、『春桃』(1934)など。

[代田智明]

『千田九一他訳『現代中国文学11 短篇集』(1971・河出書房新社)』『今村与志雄著『三十年代の許地山――ある作家・学者の後半生』(『魯迅と1930年代』所収・1982・研文出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「許地山」の意味・わかりやすい解説

許地山 (きょちざん)
Xǔ Dì shān
生没年:1893-1941

中国,現代の作家学者。本名許賛坤。筆名落華生。原籍福建省。台湾に生まれ,少青年期に福建,広東,ビルマ(現ミャンマー)を転々南方の風土風俗に親しむ。燕京大学在学中五・四運動に出会い,茅盾らと文学研究会を結成,創作を始める。1922年から25年までアメリカ,イギリス,インドに留学,宗教史,インド哲学,梵文,民俗学を研究。帰国後は北京,清華,香港の各大学でインド哲学や人類学を講じた。作品には宗教的諦観が濃い。ビルマを舞台にした小説《命命鳥》(1921),《巣をはる蜘蛛》(1922年雑誌に発表)など。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「許地山」の意味・わかりやすい解説

許地山
きょちさん
Xu Di-shan

[生]光緒19(1893)
[没]1941
中国の学者,小説家。福建省竜渓県の人。本名,賛こん (さんこん) 。地山は号。ほかに筆名,落華生。 1920年燕京大学卒業後,イギリス,アメリカに留学して 26年帰国し,燕京,清華,北京大学教授を歴任。日中事変勃発後,香港大学教授として抗日運動に従事中病死した。「文学研究会」の創立時 (1921) から会員。短編集『巣の中の蜘蛛 (くも) 』 (25) には,南方を舞台にした異国情緒のうちに仏教的諦観が流れる初期作品を収め,素朴な民衆への共感を描いた『春桃』 (34) のほか,短編集『解放者』,散文詩集『空山霊雨』などがある。またインドの哲学,文学を専攻,サンスクリットの権威として知られ,『インド文学史』がある。

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百科事典マイペディア 「許地山」の意味・わかりやすい解説

許地山【きょちざん】

中国の作家。筆名落華生。1921年周作人茅盾らと文学研究会を創立。《巣をはる蜘蛛》等で南方的・宗教的風格をもった独特な作風を示した。その後次第に社会批判を強め,《春桃》(1934年)は代表作となった。インド哲学者としての業績も多い。

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